他、作品の裏話・創作について

    『遥かなる始まりの国』について雑談。+解説文、追加のお知らせ

    一昨日出版した『遥かなる始まりの国』について、著者雑談です。

    『永遠の雨~』はシリーズ物ですが、『遥かなる始まりの国』は、独立したストーリーとしてこの話だけでも読めるはずと思います。
    「SF風味のファンタジー好き」の方にはお薦め。(であるらしい。読者様によれば)

    人によって好みは様々で、この小説が一番面白いと言ってくださる方もいます。
    著者としては意外だったのですが。

    と言うのも……自分ではどうしようもない駄作だと思っていたので。

    残酷描写や暴力描写があってグロテスクだし、著者の私もあまり気持ちを入れずに淡々と書いていたため、読者様も退屈なのではないか? と思っていました。
    しかし、一気に読み直すと、わりとストーリーが整っているかもしれない。
    脳による自動創作とは思えないくらい。

    ※『始まりの国』も『我傍に立つ』と同じように、退行催眠で見たイメージをもとに書いた小説です。『我傍』とは違い、『始まりの国』のイメージは非現実的な時代背景であるため、脳によるフィクションが大幅に含まれると思います。しかしフィクションだとしても概ね「脳による自動創作」であることは確かです。…全ての創作家の夢、自動創作!です。ズルしてすみません。

    もちろん、穴は多いですね。
    本格SFだとすれば科学技術の設定をもっと細かく作り込まなければならず、軍事の描写もしつこいくらい詳細に書き込まなければならないと思います。
    ただ、そこは実際にイメージとして見ていない(脳が創作してくれなかった)ので、徹底的に作り込むわけにもいかず。
    「なるべく見たまま描く」ルールに従い、あえて曖昧なままにしています。

    だから小説ジャンルとしては、ライトSF~古典的ファンタジーの間、という緩やかなところに属するでしょうか。
    いずれにしても中途半端で各ジャンルのファンの方々に申し訳ないです。


    『我傍に立つ』の続編を期待されて読まれると、さすがに違いますね。
    『我傍』の読者様はガッカリされることが多い。

    実は二つの物語は連動していて、遠く繋がるストーリーなのですが、著者自身が感じる人生の雰囲気としてもかなり違いますから読者様の印象が違うのは当然でしょう。

    『我傍』の突き抜けた感じ、(人生半ばにあった)高揚感や幸福感は特別なものです。あの時だけのもの。
    あの人生は運命の輪が閉じるエンディングだったので、ある種の明るさがあったのだと思います。

    いっぽう『始まりの国』は、暗く始まるプロローグ。
    朝まだき、右も左も分からない暗闇の中で手探りで歩いている感覚です。

    『始まりの国』は『我傍』の秘密、そして著者自身の秘密を探るため、興味本位で読むも良し。
    独立単体の小説として純粋に物語を味わってくださるのも有難い。
    お暇つぶしになれば幸いです。





    【ご購入された読者様へ】

    11/16、解説に以下の文章を追加しました。
    Amazonは自動更新の処理をしてくれたようですが、通知はされないため更新内容をここへ置いておきます。

    ※ネタバレを含みますので本編未読の方は読まないようご注意ください※

    ……これらのイメージも実際に見たものです。こちらの悲劇部分こそに、いつかの時代のどこかの国で私の魂が経験した現実が投影されているはずです。
    ここから下が追加した箇所↓


     なお『永遠』第四話の話をするとよく誤解されるのですが、私がこの人生の父に対し、今も延々と恨みを持ち続けているということは全くありません。この人生で受けた虐待をイメージする時の気持ちは淡々としています。憎しみすら湧かないほど気持ちが冷めているので相手が気の毒になるほどです。ただし、今でも独裁者を見かけると胸がざわつき、「放置できない」と強く思ってしまうのはこの時の経験があるからだとは言えます。
     それから『我傍に立つ』で描いた敵が、この時の父であるかどうかは分かりません。性格はよく似てはいますが。仮にあの時の敵が父の生まれ変わりだったのだとしても、『我傍』の人生が単純な復讐劇だと思われるのは違います。『我傍』の人生は確かに『永遠』第四話の人生と対になっているようですが、私が一人きりで個人的な復讐を行うために時代を創作したわけではないことを申し上げておきます。もし「リベンジ」と言うことが妥当だとしても、それは宇宙による因果律の「修復」に過ぎないでしょう。そもそも一個人が復讐のためにその時代を動かすことなど不可能です。転生の運命は一個人同士だけの感情で決まるほど、単純なものではありません。
     従って、「同時代に生きた他の人々は、お前たちの勝手な復讐劇に巻き込まれた被害者だ」と個人を全面的に責めるのは間違っています。同時代の人々もそれぞれに自分の持つ運命に沿って生きているからです。誰もが自分の運命に責任があり、全てを誰かのせいにすることはできないのです。
     私がこのシリーズを通して伝えたいメッセージは、「輪廻の道は自分で歩んできた道」であるということです。


    以上

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