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諸葛キン(亮の兄)の先祖について陳寿は意図的に記述を避けている。
(家柄が重要だった当時、記録書において先祖に触れないのは意図的)
これは亮と均は諸葛豊の子孫だったが、長男キンはそうではなかった、ということを表す。

キンについてはさらに
「実母をなくし、継母にもよく仕えた」という記述がある。
ということは、諸葛の姓は、キンと血の繋がりのない継母のものだったと分かる。
(亮や均については継母がいたという記述がないはず。長男の記録を弟にまで当てはめて考えるのは性急)

キンにとっての継母は、亮と均にとっては実母だった。
だから諸葛出身の女性の実子だった亮と均は、「諸葛豊の子孫」と言える。
陳寿がキンの出生について言及しなかったのは、
キンに諸葛の血が流れていないことを暴露してしまうからである。
呉にまだキンの一族が生きていた当時、決して触れてはならない秘密だったのでは。


■異父兄弟だった可能性


キンと亮は異父兄弟だった可能性も当然、ある。
母親の姓を名乗ることが当時の常識からはずれているので、異父兄弟と考えた方が現実的に思える。ところが、彼らを異父兄弟であると考えると、不自然が生じる。

 1.キンの母は、最初の夫を失って再婚し、諸葛家に入った。
 2.彼女は諸葛家で亮と均を産んだ直後、死亡した。
 3.父は前妻の喪が明けないうちに、後妻をめとった。
 4.後妻をめとった直後、父も死亡した。

まったく不可能ではないが、無理があり過ぎる。

異母兄弟と考えた場合、
 1.キンの父は、キンが六歳頃に諸葛の娘と再婚し、諸葛家の一員となった。
 2.新しい妻が亮と均を産んだ。
 3.三人の父が死亡。亮と均の実母は、長男のキンが面倒をみた。
と、緩やかで自然な経緯となる。

■母親の姓を名乗ったことについて

「諸葛」という姓は当時、相当に有力だったと考えられる。
常識からはずれていたとしても、子供たちにこの姓を名乗らせることの利益は甚大だったはず。しかしこの非常識をおかしてしまったが故に、諸葛家に“後ろ暗い”影が落ちたのかもしれない。

< オマケの話:
何故、瑾を異母兄と考えるのか? 異次元の理由 (要パスワード)
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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