2017
Dec
24
-
映画レビュー "DESTINY"、生まれ変わってもあなたと
映画『DESTINY』を観に行った。和風(+中華風)なファンタジーだけど、夫婦で過ごすクリスマスにはちょうどいい映画だった。
ストーリー:公式サイトより
心温まる素朴な物語。
私は特に、生まれ変わりや妖怪など、古き良き日本の精神文化が織り込まれていたところに感動を覚えた。
もちろん見どころとして宣伝されている最新VFXによる映像美も魅力的だった。吸い込まれるように美しい東洋風ファンタジーの世界は、映画館で堪能すべきだと思う。
こういう物語が今は減ってしまったな、と映画を観終わって気付いた。
自分が子供の頃はまだこの種のファンタジーが日常に溢れていたはずなのに。
このままではまずい、子供たちの精神が我々よりずっと貧しくなってしまうと危機感を覚える。
たぶん山崎貴監督は同じ危機感を抱いているのでこの映画を作ったのだろう。
他にお奨めポイント。
女性曰く、
「見ていて恥ずかしくなるほど夫婦ラブラブなとこが、いい」
「夫婦のイチャイチャが見どころ!」
だ、そうで。
「あごチョコ(ちょい?)」:幼な妻が夫の肩に顎を乗せる
「腕クイ」:同じく、甘えて腕を引っ張る
「裾くるくる」:夫の上着の裾を握って回す
などが見どころだそうです。
んー、確かに年の差夫婦の新婚生活、幸せそうでこちらまで幸せになる。
(と言うかうちも年の差だけどね。新婚時代は周りから見てあんな感じ? ←気持ち悪くなった方、すみません。笑)
ストーリーについて、個人的にはもう少し早い段階で黄泉の国へ行って景色を堪能したかったし、もう少し切なさが欲しかった。
(どちらかと言うとカエルになった男の話が切ない。家族を見守るシーンに涙が落ちそうになった)
輪廻転生をテーマとする切ないファンタジーを期待して見に行くと、確かにそのストーリーはあるのだがメインではないから少し違うのかもしれない。
おそらくこの物語が目指したのは突飛なファンタジーではない。
原作は読んだことがないので分からないが、古都の片隅で、妖怪と共存しているかのような鎌倉人の文化を描いたものだろう。妖怪も幽霊も受け入れる日本の懐深い精神性も表している。
――と、難しく言ってしまうとまた原作者の想いと離れてしまうのかもしれないが。
その前にとにかく「鎌倉好き!」という鎌倉愛が溢れ出している。
それは地域愛であると同時に、過ぎ行く「我が日常」への愛おしさでもある。
ところでこの映画の「黄泉の国」は、中国湖南省のこんな地域がモデルとなっているらしい。
武陵源区:
鳳凰古城:
まさにファンタジー!
いいなあ。いいなあ。
中国が安全な国であれば行ってみたい。
(ついでに長江下りもいつか行きたいのだ。正直に言えば生きているうちに蜀へも行きたい。…船の転覆などの心配がなければ。涙) →あれこれ言い訳している典型の文。本音では蜀へ行きたい、でも行けない理由がある。
昔、仮に自分が中国に住んでいたとしても武陵源などへは旅行に出かける余裕はなかった。だから武陵源は絶対に見ていない景色でしょう。(鳳凰古城はもちろんまだ存在しない)
わりと近くに住んでいた時代は見られなかったのに、現代は外国でこうして写真や動画で見られる。
不思議なことだ。恵まれた時代だとも思う。
もし治安など気にしなければ(笑)いつでも飛行機で飛べるわけだし、本当に奇跡の時代と言える。
〔余計な話〕
この映画を見て、また「鎌倉」という街に対するイメージを過剰に膨らませて、憧れだけで移住しようとする人が増えるのではと心配になってしまった。
少し狭量なことを言うようだけど。現実問題、よく知りもしないのにイメージだけで飛びつく人たちは、必ず街を荒らす。
気軽に引っ越しして憧れを撒き散らし、短期間で「イメージと違う」などと悪口とゴミだけ残して引っ越していく。
すごく失礼なことだと思う。
湘南はもはや手遅れなのだが、鎌倉を荒らすのだけはやめて欲しいな。
鎌倉は他地域の人たちが勝手にイメージしているほど静かな街ではないし、意外と都会で観光客も多い。
その押し寄せる観光客の波に流されないように、街の片隅で上のような世界観を大切に守りながら生きている地元住民がいることを忘れないで欲しい。
て、私は鎌倉住民ではないのだけど。
小説『旧little life~あの君』で描いた思い出の通り、十代の頃から通った鎌倉を愛しているので荒らされることを不快に感じている。
(先日、よく知りもしないのに「鎌倉へ引っ越したい」と仰った方がいて、初めて怒りを覚えた。その街への愛がなければ分からないものだな)
どうか安易な引っ越しはやめてね。
もし引っ越しを考えているなら、歴史や施設、地元住民についてなどを調べたうえで長期に住む覚悟で決めてください。
ストーリー:公式サイトより
鎌倉に暮らすミステリー作家・一色正和(堺雅人)のもとに嫁いだ年若い妻・亜紀子(高畑充希)はその生活に驚くばかり。道を歩けば、魔物や幽霊、妖怪や仏様、死神(安藤サクラ)までも現れるのだ。どうやらここ鎌倉は、人と人ならざるものたちが仲良く暮らす街らしい。
本業の小説執筆に加え、鎌倉署の捜査にも協力する夫・正和は、その上、鉄道模型収集やら熱帯魚飼育やら多趣味でもあり忙しい。そんな一色家には、実年齢130歳? の家政婦・キン(中村玉緒)、腐れ縁の編集担当・本田(堤真一)、果ては貧乏神(田中泯)が居座るなど個性豊かな面々が次々に現れ騒がしい日々。亜紀子の理想とはちょっと違うけれど、楽しい新婚生活が始まった。
しかし、正和には亜紀子に隠していた秘密があった。その秘密が原因で正和は結婚に疑問を感じて生きてきたようだ。正和はなぜ亜紀子を見初めたのだろうか?
ある日、病に倒れた正和が目を覚ますと、亜紀子の姿が消えていた。夫への愛にあふれた手紙を残して――。なんと亜紀子は不慮の事故で亡くなっており、黄泉の国(あの世)に旅立っていたのだった。失って初めて気づく妻・亜紀子への愛。正和は亜紀子の命を取り戻すため、一人黄泉の国へ向かう決意をする。そこで彼を待っていたのは、亜紀子を黄泉に連れさった魔物たちとあの人の姿・・・・・・。
一色夫婦の命をかけた運命が、今動き出す。
心温まる素朴な物語。
私は特に、生まれ変わりや妖怪など、古き良き日本の精神文化が織り込まれていたところに感動を覚えた。
もちろん見どころとして宣伝されている最新VFXによる映像美も魅力的だった。吸い込まれるように美しい東洋風ファンタジーの世界は、映画館で堪能すべきだと思う。
こういう物語が今は減ってしまったな、と映画を観終わって気付いた。
自分が子供の頃はまだこの種のファンタジーが日常に溢れていたはずなのに。
このままではまずい、子供たちの精神が我々よりずっと貧しくなってしまうと危機感を覚える。
たぶん山崎貴監督は同じ危機感を抱いているのでこの映画を作ったのだろう。
他にお奨めポイント。
女性曰く、
「見ていて恥ずかしくなるほど夫婦ラブラブなとこが、いい」
「夫婦のイチャイチャが見どころ!」
だ、そうで。
「あごチョコ(ちょい?)」:幼な妻が夫の肩に顎を乗せる
「腕クイ」:同じく、甘えて腕を引っ張る
「裾くるくる」:夫の上着の裾を握って回す
などが見どころだそうです。
んー、確かに年の差夫婦の新婚生活、幸せそうでこちらまで幸せになる。
(と言うかうちも年の差だけどね。新婚時代は周りから見てあんな感じ? ←気持ち悪くなった方、すみません。笑)
ストーリーについて、個人的にはもう少し早い段階で黄泉の国へ行って景色を堪能したかったし、もう少し切なさが欲しかった。
(どちらかと言うとカエルになった男の話が切ない。家族を見守るシーンに涙が落ちそうになった)
輪廻転生をテーマとする切ないファンタジーを期待して見に行くと、確かにそのストーリーはあるのだがメインではないから少し違うのかもしれない。
おそらくこの物語が目指したのは突飛なファンタジーではない。
原作は読んだことがないので分からないが、古都の片隅で、妖怪と共存しているかのような鎌倉人の文化を描いたものだろう。妖怪も幽霊も受け入れる日本の懐深い精神性も表している。
――と、難しく言ってしまうとまた原作者の想いと離れてしまうのかもしれないが。
その前にとにかく「鎌倉好き!」という鎌倉愛が溢れ出している。
それは地域愛であると同時に、過ぎ行く「我が日常」への愛おしさでもある。
ところでこの映画の「黄泉の国」は、中国湖南省のこんな地域がモデルとなっているらしい。
武陵源区:
鳳凰古城:
まさにファンタジー!
いいなあ。いいなあ。
中国が安全な国であれば行ってみたい。
(ついでに長江下りもいつか行きたいのだ。正直に言えば生きているうちに蜀へも行きたい。…船の転覆などの心配がなければ。涙) →あれこれ言い訳している典型の文。本音では蜀へ行きたい、でも行けない理由がある。
昔、仮に自分が中国に住んでいたとしても武陵源などへは旅行に出かける余裕はなかった。だから武陵源は絶対に見ていない景色でしょう。(鳳凰古城はもちろんまだ存在しない)
わりと近くに住んでいた時代は見られなかったのに、現代は外国でこうして写真や動画で見られる。
不思議なことだ。恵まれた時代だとも思う。
もし治安など気にしなければ(笑)いつでも飛行機で飛べるわけだし、本当に奇跡の時代と言える。
〔余計な話〕
この映画を見て、また「鎌倉」という街に対するイメージを過剰に膨らませて、憧れだけで移住しようとする人が増えるのではと心配になってしまった。
少し狭量なことを言うようだけど。現実問題、よく知りもしないのにイメージだけで飛びつく人たちは、必ず街を荒らす。
気軽に引っ越しして憧れを撒き散らし、短期間で「イメージと違う」などと悪口とゴミだけ残して引っ越していく。
すごく失礼なことだと思う。
湘南はもはや手遅れなのだが、鎌倉を荒らすのだけはやめて欲しいな。
鎌倉は他地域の人たちが勝手にイメージしているほど静かな街ではないし、意外と都会で観光客も多い。
その押し寄せる観光客の波に流されないように、街の片隅で上のような世界観を大切に守りながら生きている地元住民がいることを忘れないで欲しい。
て、私は鎌倉住民ではないのだけど。
小説『旧little life~あの君』で描いた思い出の通り、十代の頃から通った鎌倉を愛しているので荒らされることを不快に感じている。
(先日、よく知りもしないのに「鎌倉へ引っ越したい」と仰った方がいて、初めて怒りを覚えた。その街への愛がなければ分からないものだな)
どうか安易な引っ越しはやめてね。
もし引っ越しを考えているなら、歴史や施設、地元住民についてなどを調べたうえで長期に住む覚悟で決めてください。
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