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勝ち組でなくていい。名もなき僕らの歌

気付けば年末。早いもの。

今日は相方が『レコード大賞』など観て、年末感を醸し出していたのを微笑ましく眺めていた。
レコードもCDも買われない今時、『レコ大』もないでしょうにと笑ってしまうが、季節感のある風習が私は嫌いではない。
出来レースでも何でも、“日本村”のお祭りなのだからまあいいんじゃない。村の祭りがこうして開催されているのは平和の証なのだし。

ところでそのレコ大、徳永の兄貴(徳永英明)※が『バトン』で「作詞賞」を受賞していたのを観て、嬉しかった。
昔から、彼の詞が好きだった。それなのに容姿が良いせいで、女子たちから何か違う騒がれ方をしていて気の毒に感じていた。
やっと正当な評価をされるようになったのですね。良かった。
年は取ってみるものだと思った。

※「徳永の兄貴」: 密かな徳永英明のファン、特に歌詞に共鳴する同性ファンが敬意を篭めて彼を「心の兄貴」と呼ぶ。『壊れかけのRadio』に自らを投影する同志たちである、笑

今回、徳永兄貴が受賞された『バトン』の歌詞、素晴らしい。
「がんばれ」と言わない応援ソング。これこそストレートに、“僕ら”の歌。


今の世は「勝ち組でなければダメ」と言う人たちばかりで疲れますよね。
「ぱっとしない人生を送っているなら風水・引き寄せ・ビッグビジネスやれよ」
とかね。いい加減にして欲しい。
どこまで欲張れば気が済むのだろう。しかもその生き方を絶対教義として、他人に押し付けるとは。

頑張ることは素晴らしい。できるところまでやってみれば、見える景色があるのは事実。
でも「人生負けてもいい」と歌ってくれるこんな人がいないと皆の心が疲れ切って、死んでしまう。


もう一つ、凄い歌をご紹介。
これは相方がさっき熱烈に推薦してきたもの。
⇒中島みゆき #07「命の別名 」【HD】
何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えていく
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい

この歌詞など、自分のことを歌われているようで涙が出てくる。

「お前が言うか」と怒られるかもしれない。
でも今は同じ。
と言うより、いつもずっと同じだった。皆が同じだ。

人間社会ごときで名があろうと、なかろうと。
皆、同じ。
何者かになれたような気がしていてもそんなものは幻想で、いつか消えていく運命。

この世の知識の全てを覚えられることはない。
勝利するだけの人生など、あり得ない。

「何のために生きているのか」
「自分の存在が他人の役に立っているのか」
「自分がいることが有害なのでは」
どれほど高みにあって国中の人々から称賛されていても、ずっと孤独のなかで自問自答している。

そう知ると虚しいでしょう?

あなたは何者かになろうと努力しているのかもしれない。もしかしたら、歴史に名を遺すことを目標として頑張っているのかもしれない。大富豪になって世界を操るつもりかも。
でもそんなことは、何の足しにもならない。
あなたの目標は最終的に虚しいだけ。

だから名など求めず、一個人として生きるのだよ。
全ての生物が等しく同じ価値である、一個の命として。

もし自分の存在で身近な人が幸福な気持ちになってくれたり、遠くの誰かが密かに支えとしてくれているのだとしたら、奇跡的に恵まれていると言える。
ただ生きているだけでも価値があるのだから。


……などということを考えていた年末でした。まとまらない雑談で、すみません。
日本の巨匠たちが提供してくれた良い歌に感謝。


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