平和な時代に政がしたかった、か

友人から教えていただいたのですが、ある戦争マンガの主人公が
「平和な時代に政(まつりごと)がしてみたい」
と呟いていたそうです。

その台詞に触れて自分のことを考えてみました。

――私は、どうだろう?

思えば、前世で一度もそんなことを考えたことがない気がするのです。

どうして考えられなかったのか。
平和を具体的に想像することが出来なかったからです。
生まれてからずっと戦乱の時代に生きてきて、戦争のなかで押し上げられて「たまたま」政治にも関わることになった人間です。
自分の使命は「戦争を終わらせること」と思っていて、平和な社会となったらお役目終了。
失業して、めでたし・めでたし となることを夢見ていました。
もしも生きている間に平和が訪れていたら、私はその翌日に黙って去っていたと思います。

上のマンガのような台詞は、平和な時代に生まれ、平和な社会で生きてきた人だからこそ思いつくのかもしれません。

もちろん今の私は平和な時代に生まれ、平和な社会で生きてきました。
でも、私自身、この国で政治家になりたいなんて夢見たことは一度もないのです。

子供の頃からずっと
「この社会に自分の居場所はない」
と思って生きてきました。

それは、「失業して めでたし・めでたし」だと無意識に思っていたからなのかもしれません。
どうしても
「お役ご免」
な人生に憧れてしまうようです。

戦場写真家のロバート・キャパの言葉、
「私が失業する時代が訪れることが目標」※
これが人生で最も心に響いて共感した言葉です。

※「戦場カメラマンの一番の願いは、失業することなんだよ」。この言葉を知ったのは16歳の頃ですが何故か号泣しました。

情けないですね。
ダメですかね? こんなの。

でもこうして考えてくるとかつての自分は、自分のことを政治家ではなく戦争屋だと思っていたようです。
他人はどう評価してくださっているか知らないが、自己認識としては。

それと実際、人を操るという意味も含む「政治」は私には無理そうですね。
特に現代日本の政治は、スキルとして党利しか考えない派閥争いの能力が必要ですから(笑)、まあまず無理です。
嫉妬と私欲だけの人間たちは見るだけで吐いてしまいそうです。
(自分で言うのも何だけど、こういう潔癖なところがダメなんですよ。女性同士の嫉妬も見かけるだけで吐きそうになるので、彼女たちの仲間にはなれない)

平和な社会の、腐った政治世界で生きるのが最も私には向かない気がします。

今も『孟子』を読み直して孤独を癒しているくらいですから、無理でしょう。

現実の話。

何故こういうことを考えているかと言うと、実際に最近は政治家の方とお会いする機会もあるからです。
やはり彼らは常に利用価値ある立候補者を探していますから、なるべく関わらないよう距離をおくのが大変です。

しかし選挙には全財産を失うほどのお金がかかり、さらに様々な団体から罵詈雑言を浴びせられたり身に危険が及んだりと、そんな苦労を越えて政治家になる彼らは凄いなと思っています。たとえ金と名誉が第一目的だとしてもです。
あの泥沼に飛び込むのは、自分にはとうてい無理だなと思います。