2018
Feb
03
-
洗脳されやすいタイプと、占星術にはまる人たちはどう違うのか
一昨日の記事『「玄米食をしている人たちなどは洗脳されやすい」と、洗脳評論家 』を書いていてふと思った。
世間の人たちは、
「カルト宗教に洗脳されている人も 占星術などというバカげた妄想を信じている人も 完全に同じ人種」
だと思っているのではないだろうか?
確かに、傍から見ればどちらも
「科学で証明されていないことを信じているバカども」
と思えるだろう。一括りにされて嘲笑されているに違いない。
ただ経験上
「本格的に占星術の勉強を始めました!」
と報告してきた人が、数年後に新興宗教に入信したという結末を私は見たことがない。
若い頃に占星術の学習を始めた人はそのまま一生、ストイックな学習の道に留まる。
占星術の大家となってしまう人もいるし、他の学習を始めてそちらにはまってしまう人もいる。だが、宗教にはまる人はあまり見かけない。
※2018/12/16 あくまでも「あまり見かけない」という傾向。現実にはその後、ネット上で一人見かけましたね。→元占星術師で今は宗教団体の勧誘リーダー。この人は元々「私の占星術の師匠は宗教教祖」だそうなので、始めから信者だったのかもしれない
何故なのだろう?
おそらく――求める刺激が違う。
脳が反応する快楽ポイントが違うのかもしれない。
占星術など、ややこしいものを自分で学習しようとする人は「学習」という行為そのものが快楽になっている。
自分で学ぶことが好きなので、他人の言うなりになることは大嫌い。
だから占星術に飽きた場合でも、次にはまるのは宗教ではなく何らか他の学問。
ただしこのジャンルの人たちは少々堅苦しく、ファンタジックな思想を取り入れる余裕がないのは難点(例外は、スピリチュアルも取り入れる松村潔先生タイプ。こちらは少数)。科学者や法律家に似たタイプの人が多いと思う。
(差別や悪口が大好きなど)賢いとは言えない人も中にはいるが。
いっぽう洗脳されやすい人たちは、誰かが手っ取り早い裏技を教えてくれ、自分を高みに連れて行ってくれることを求めていると感じる。
つまり他力本願と言えるか。
書籍を読む場合も、何らかの宗教や商材についての推奨派・賛同派の書いたものしか読まない。それらは全てメリットしか書かず、素晴らしい未来を思い描かせワクワクさせるように書かれている。
どれも同じ内容なのにも関わらず、本人は様々な視点から深い勉強をしたと思い込んでいる。
正確に言うと、鴨を狙う詐欺師たちにそう思わされている。相手が差し出したものばかり読んでしまうからだ。
この種の人たちを判別するのは簡単。同じ占いでも複雑な占星術や四柱推命などは避け、単純なものを好むから分かりやすい。
血液型占いを頑なに信じているのは当たり前。
少し高尚なものでは、太陽星座の星占いや、カバラ数秘術、宿曜占星術などを強く信じる傾向がある。
カバラも宿曜も的中率が高いから悪くはない占いだと思うのだが、「それだけで他人の性格の全てと決めつけるべきではない」と私はいつもうるさく言う。しかしこの種類の人たちにはどうしても理解していただけない。
「俯瞰で見ろ」などと言えば、「俯瞰って何? 全然理解できないから説明しろ」攻撃が返ってくる。
しまいに私の話を完全に無視して、「○○座(宿)の人はこうだから大嫌い」と最初の考えに戻って一点決めつけの悪口を言うことに落ち着く。
思うに、彼ら彼女らは決して「バカ」というわけではなくて、考えを放棄して他人の言葉を信じることが既に快楽となっている人たちなのだろう。
現に高偏差値・高学歴な人たちにも多い。
洗脳されることを求めていると言えるのかもしれないな。
おそらくこの人たちは洗脳を受けているときに脳の快楽ポイントが反応していると思う。
だから彼らを何かの洗脳から救っても、すぐにまた他の洗脳を見つけてはまり込んでしまう。救おうとしていた人は徒労感で一杯になる。
こんなことを書くと本人たちは怒るだろうが、このパターンは借金を繰り返す人にも似ている。
「占星術など複雑な学習にはまる人は高等、単純なものにはまる人は下等」
などと言いたいわけではない。
だけど、どうせなら他人の言葉を信じてついて行くだけの人生よりも、自分自身の力で学習していく人生のほうが安全では?
それに自分で学習したほうが楽しいと私は思う。
あくまでもストイックに。何の目的もなく学習という行為そのものを愉しめるところまで達したなら、もはや他人に洗脳される余地などないはず。
【追記】
あと、占星術をやる人は「抽象化思考」を無意識に訓練されているということもあると思います。
「抽象化思考」とはマインドコントロールを防ぐ免疫となり得る思考法。
別館参照:
洗脳とは何か? 価値観を破壊する洗脳から身を守る方法

世間の人たちは、
「カルト宗教に洗脳されている人も 占星術などというバカげた妄想を信じている人も 完全に同じ人種」
だと思っているのではないだろうか?
確かに、傍から見ればどちらも
「科学で証明されていないことを信じているバカども」
と思えるだろう。一括りにされて嘲笑されているに違いない。
ただ経験上
「本格的に占星術の勉強を始めました!」
と報告してきた人が、数年後に新興宗教に入信したという結末を私は見たことがない。
若い頃に占星術の学習を始めた人はそのまま一生、ストイックな学習の道に留まる。
占星術の大家となってしまう人もいるし、他の学習を始めてそちらにはまってしまう人もいる。だが、宗教にはまる人はあまり見かけない。
※2018/12/16 あくまでも「あまり見かけない」という傾向。現実にはその後、ネット上で一人見かけましたね。→元占星術師で今は宗教団体の勧誘リーダー。この人は元々「私の占星術の師匠は宗教教祖」だそうなので、始めから信者だったのかもしれない
何故なのだろう?
おそらく――求める刺激が違う。
脳が反応する快楽ポイントが違うのかもしれない。
占星術など、ややこしいものを自分で学習しようとする人は「学習」という行為そのものが快楽になっている。
自分で学ぶことが好きなので、他人の言うなりになることは大嫌い。
だから占星術に飽きた場合でも、次にはまるのは宗教ではなく何らか他の学問。
ただしこのジャンルの人たちは少々堅苦しく、ファンタジックな思想を取り入れる余裕がないのは難点(例外は、スピリチュアルも取り入れる松村潔先生タイプ。こちらは少数)。科学者や法律家に似たタイプの人が多いと思う。
(差別や悪口が大好きなど)賢いとは言えない人も中にはいるが。
いっぽう洗脳されやすい人たちは、誰かが手っ取り早い裏技を教えてくれ、自分を高みに連れて行ってくれることを求めていると感じる。
つまり他力本願と言えるか。
書籍を読む場合も、何らかの宗教や商材についての推奨派・賛同派の書いたものしか読まない。それらは全てメリットしか書かず、素晴らしい未来を思い描かせワクワクさせるように書かれている。
どれも同じ内容なのにも関わらず、本人は様々な視点から深い勉強をしたと思い込んでいる。
正確に言うと、鴨を狙う詐欺師たちにそう思わされている。相手が差し出したものばかり読んでしまうからだ。
この種の人たちを判別するのは簡単。同じ占いでも複雑な占星術や四柱推命などは避け、単純なものを好むから分かりやすい。
血液型占いを頑なに信じているのは当たり前。
少し高尚なものでは、太陽星座の星占いや、カバラ数秘術、宿曜占星術などを強く信じる傾向がある。
カバラも宿曜も的中率が高いから悪くはない占いだと思うのだが、「それだけで他人の性格の全てと決めつけるべきではない」と私はいつもうるさく言う。しかしこの種類の人たちにはどうしても理解していただけない。
「俯瞰で見ろ」などと言えば、「俯瞰って何? 全然理解できないから説明しろ」攻撃が返ってくる。
しまいに私の話を完全に無視して、「○○座(宿)の人はこうだから大嫌い」と最初の考えに戻って一点決めつけの悪口を言うことに落ち着く。
思うに、彼ら彼女らは決して「バカ」というわけではなくて、考えを放棄して他人の言葉を信じることが既に快楽となっている人たちなのだろう。
現に高偏差値・高学歴な人たちにも多い。
洗脳されることを求めていると言えるのかもしれないな。
おそらくこの人たちは洗脳を受けているときに脳の快楽ポイントが反応していると思う。
だから彼らを何かの洗脳から救っても、すぐにまた他の洗脳を見つけてはまり込んでしまう。救おうとしていた人は徒労感で一杯になる。
こんなことを書くと本人たちは怒るだろうが、このパターンは借金を繰り返す人にも似ている。
「占星術など複雑な学習にはまる人は高等、単純なものにはまる人は下等」
などと言いたいわけではない。
だけど、どうせなら他人の言葉を信じてついて行くだけの人生よりも、自分自身の力で学習していく人生のほうが安全では?
それに自分で学習したほうが楽しいと私は思う。
あくまでもストイックに。何の目的もなく学習という行為そのものを愉しめるところまで達したなら、もはや他人に洗脳される余地などないはず。
【追記】
あと、占星術をやる人は「抽象化思考」を無意識に訓練されているということもあると思います。
「抽象化思考」とはマインドコントロールを防ぐ免疫となり得る思考法。
別館参照:
洗脳とは何か? 価値観を破壊する洗脳から身を守る方法

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