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吉野圭のプライベートブログです。小説裏話、前世+占星術
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前世で僧侶だった記憶を思い出した方のブログを読み、語りたくなった

メールで教わりまして、「平安時代にお坊さんをやっていた記憶のある人」マグロジュースさんのブログを少し読ませていただきました。

数万人のツイッターフォロワーか、いいなぁと単純に思ってしまった。
でもネットで話題になって、神経すり減らないだろうかと心配になってしまいます。私だったら検索結果にたくさん自分の名が挙がってきたら、一日もたずに参ってしまうな。最近の若い人は子供の頃からこんな社会で生きて来たから、慣れているのか。

何故か騒がれない件


私のサイト等は今までに大きな反響があったことはないですね。幸か不幸か世間に無視され続けています。
私自身が騒がれたくないから、はっきり現実として語ることを避けてきた(フィクション世界に押し込めた)、せいもあるかもしれない。

いやそれ以上に、私の場合は前世と推測される名があまりにも馬鹿馬鹿しくて話にならないことが大きいと思います。
私の前世の名(仮)を聞いた人のほとんどは、「バカじゃないの」と笑って終わりでしょう。

時々、「詐欺」と決めつけヒステリックに怒り出す人もいますが、他に誰も本気で信じないから問題にはならない。
私への個人的な怨みを晴らすために匿名掲示板等に貼り付ける人もいるのだが、「宣伝目的の自演」と判断されスルー。

結果、私は未だに無名のまま無事に過ごしています。透明人間になったような感覚。
これは幸か不幸かと言ったら、たぶんのほうなのだと思う。
もし私の前世を本気で信じる人々が増えたら、今のように平穏な人生は送れなくなる気がします。

異常な妄信が一番怖い


長年こういう活動をしていると分かって来るのは、悪口や批判の言葉をぶつけて来る人よりも、むしろ異常に信じる人たち※のほうが怖いということです。

※異常に信じる人たち: 「理屈抜きに信じます!」と仰って熱烈に近付いて来られる方のことです。
当ブログの解説を読んでくださった結果として、「理屈で納得したから信じる」と仰ってくださるのはとても有難く、嬉しく思います。

ごくたまに「無条件に信じます!」などと仰ってメールをくださる方もいるのですが、そういう方は正直私から見ても危険なタイプ。後で凶悪なストーカーとなるか、始め手放しで絶賛しておきながら理想と異なると罵倒して貶める、ということをする。
「誰かを崇拝したい」という欲望は、恋愛などと似たところがあり、拒絶されると憎しみに変わります。私には彼らの「崇拝したい」「洗脳されたい」という欲を受け入れることは絶対にできませんので、今後も憎まれることは避けられないと思います。

つまり、ほとんど反響はないのに時々命を狙われるほどの危険はある、という。
この通り私には前世を語る活動で得られたメリットはほぼありません。
メリットがないどころか激しくデメリットが上回り、人生の時間も健康も犠牲にし続けています。
今は有料で小説を公開したり広告を置いたりしていますが、稼ぎは子供の小遣い程度で、費やした額や損害を大きく下回ります。コンテンツを愉しまれた代わりに、せめてこの程度はご協力いただけると幸いです。

自分にはデメリットしかないのに続ける理由


こんな想いをしても未だにネットで文を書き続けているのは、やはりどうしても前世について語りたいから、という理由が第一です。
気持ちを抑えられずに小説で吐き出したあの頃のように、今もまだ燃え残り燻る気持ちを語る場が欲しいのです。
現実では語る場が一切なく、この件に関しては完全に孤独の世界に居ますので。
(家族や友人に話したら迷惑だから話しません。家族は私の体験については知っていますが、信じられない話に付き合わせるのが可哀想なので話さないのです。聞きたくもない話を聞くという苦痛を与えたくはありません)

占星術サイトのほうは、何らか世間のお役に立ちたいという想いで情報提供を始めたもの。
今ではこちらのほうが皆様のご興味を引いているでしょうか?
私ごとき人間の人生サンプルでお役に立てれば、本当に幸いなことだと思っています。

「報われた」と言えるのは、サイトをご覧になったどなたかの人生の支えになれたとき。
私と同じように孤独の世界に居たり、わけの分からない体験をして困惑されている方へ、道しるべとなれたなら「報われた」と言えます。

――などと、マグロジュースさんのブログに触れたら改めて自分の活動について語りたくなってしまった。
なんだか愚痴めいていて暗くて、申し訳ないです。
マグロジュースさんもこれから大変だろうなと想像しますが、彼のブログで救われる人はそれこそ私などとは比べものにならないくらい、たくさんいるはず。
勇気を持って正直に語ってくださったこと、私も一閲覧者として感謝したいです。

マグロジュースさんと自分で考えが違う点


一点だけ、私とは考え方が違うところを述べてみます。
正確に言うと「今の私とは違う」というだけで、かつては彼と完全に同じ考えだったのですが。

前世記憶関連でご理解頂きたい事 より
分からない事は、肯定もしないし、否定もしない。というのが自分の考えです。

確定的な資料が後天的に発見されない限り、自分の言ったものを100%立証する事は叶いません。 現時点で史実通りなら「調べたんだ」となるし 史実と異なれば「嘘だ」となるし 曖昧でも詳しく話しても「想像だ」となります。また、見る人により異なる解釈で受け取られる事も多々あるので、それによって混乱したくないしさせたくもありません。

また、世の中にはいろんな信仰や考え方が存在し、輪廻転生を肯定していない文化もあります。否定的な考えも十分に理解できます。多様な考え方を尊重しているし、形はそれぞれでもみんなが有意義に良い人生を送れるならそれで良いです、その形こそがベストだと思っています。
特定の考えを押し通す必要性を感じません。スピリチュアル的な考え方に囚われる気もありません。知らない様々な文化や考え方を調べて、学んで知っていくことが自分の生きがいです。

さすがかつて僧侶だった方だなと思いました。素晴らしい寛容さ。
私も基本的に同意です。
特に「特定の考えを押し通す必要性を感じません。スピリチュアル的な考え方に囚われる気もありません。」という箇所、私もかつては同じ考えでした。
ですが、長年語り続けてきて少し考えが変わってきました。

結局、我々には体験したという事実があります。他人がどう思おうと、自分自身にとって体験は事実でしかないわけです。
この体験を説明するとき、どうしても世間で言うところの「スピリチュアル的な」話になってしまいます。
と言うのも「それはスピリチュアルだ!」と決めるのは、周りの人だからです。自分では当たり前のことだから神秘とは考えていなくても、世間一般のカテゴリで「スピリチュアルジャンル」へ勝手に振り分けられてしまう。

だから私は今は、堂々と「スピリチュアルだ」と言っていますね。周りが決めたことなので、この看板を背負うより他に選択肢がない。

それに自分がどういうつもりで語ろうと、体験を語っただけで
「お前はスピリチュアルという思想を我々に押し付けている! 傲慢な思想犯罪者だ!」
と断じる人が必ず現れます。

たとえこちらは輪廻転生という思想を押し付ける気がなくても、我々が存在しているということだけで、もう相手にとっては「自分の思想を否定された」ことになるからです。
もし、相手の言い分を理解し受け入れるなら我々が存在することをやめねばなりません。
しかし我々が存在していることもまた事実で、この事実は未来永劫に消すことはできないわけです。相手は我々の死刑を望むでしょうが、殺したところで我々が存在したという過去はもう決して消えません。
つまり信じない人々へ優しさを持ち、彼らの言い分を受け入れて「輪廻転生思想を完全に消し去る」という願いを叶えてあげることは、絶対不可能だということです。

もちろん輪廻転生を信じない人々、宗教教義で輪廻転生思想を考えることを禁じられている人々の立場を私は理解しています。
その人たちに、私のほうからは考えを変えるように迫るつもりは全くありません。

しかし相手のほうは、絶対にそう思わないということ。多様性を認めているのはこちら側だけで、相手がこちらの体験を認めてくれることは決してないということ、この不公平も悲しい現実です。
また寛容さにも限度があります。
「違う宗教を持つ相手を殺してまで自分たちの宗教だけが正しいと主張する」、そのような暴力行為については、私は決して理解し同意することはないでしょう。

結論として。
一種の開き直りかもしれませんが、他人を否定する宗教の信者とは、宇宙の端と端ほどに離れて生きるしかないというのが私の今の考えです。
宇宙のこちら側で、我々は堂々と体験を語ればいいと思います。あくまでも自分が体験したことについてだけは、断定的に。
それも実は同じ体験をされた方のためでもあります。

体験者の支えとなるべく


公に語っている私が、「前世が現実にあるかどうか分からない」と言えば同じ体験をされた方は支えを失うでしょう。

かつて私も「自分の記憶は本当に前世なのか、輪廻転生は現実にあるかどうか分からない」と思っていたしそう語っていましたが、ある時ふと曖昧なままでは同じ体験をされた方に申し訳ないと気付いたもの。
それと、『何故、こんなにも変わったのか』でも書いた通り裏付けの方法が分かり(証明して他人を信じさせるためではなく体験した本人が納得するための手段)、自分でも信じられるようになったからでもあります。

これは宗教ではないので特定の誰かの書籍を鵜呑みにし、教義として周りに押し付けることとは違います。
ただ少なくとも自分の体験のうち、はっきりと分かっていることに限っては断定的にお伝えしなければ役立てないと思い、今このように語り続けています。
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