我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    前世の晩年の話と、周囲の人々について(部下たちの記憶)

    そう言えば、このブログでは書き忘れていた。
    私には前世の晩年、自分の周囲にいた人々の記憶がほとんどない
    何があったかという大筋の記憶と、落ち込んでいたという自分の気持ちは強烈に覚えている――と言うより今もその気分を引きずっているのだけど、周囲の人々については一人一人覚えていないのだ。
    名前はもちろん言語記憶がないために誰一人分からないのだが、晩年に接した人々については個別の記憶がなく、顔さえも浮かばない。

    薄情だな。
    献身的に支えてくれた部下たちに本当に申し訳なく思う。
    しかし当時は文字通りの殺人的多忙で、しかも現代知識で推測するとおそらく重い鬱に近い症状があったので、生きている間であっても記憶が曖昧になる時期だろう。
    それに加えて遠い時間という距離があり、死を超えた記憶の曖昧さもあって、薄膜を通して眺めるようにボンヤリとしか見えない。

     参考:前世記憶の思い出され方  /私の場合

    だから晩年については、
    「反対派と賛成派が争っていた」
    ということや、反対派との論戦(と言うよりは一方的な吊るし上げ)といったネガティブなことばかりが強く思い出される。
    それで、『我傍に立つ』の後半はあのようにほとんどネガティブな苦情ばかりの内容となってしまった。純粋な小説作品としてもあの部分はどうかと思うね。(どうかと思うのだが、Kindleで出す際もあえて変えなかった。あれは書いた当時の正直な気分なので)

    小説ではあくまでも私の記憶に強く残ること、“気分”を書いているので、事実かというと違うところもあると思う。
    いや、周囲にいた人々に言わせれば
    「全く違う」
    ということになるはず。
    私は自分勝手に一人きりの世界に閉じ籠もり、完全孤独のつもりになっていたわけなのだが、折に触れ
    「あなたは一人ではない」
    「心ある者は皆、あなたの味方だ」
    「自分が支えている。何でもする」
    と囁いてくれた人々の声は耳に入っていた。こうして記憶にも残っている。
    それなのに当時は囁いている人の顔を振り返って見る余裕すらなかった。
    あの人々の顔を一人一人思い出せないことが不甲斐なく、申し訳なく思う。

    (白髪の美形武将、前世代の生き残り、小説内での名は「斎信」を除き)一人だけ顔まで思い出すのが、小説の最後のほうに書いた、扉を開けて部屋に入って来た若い部下のこと。
    彼は支えてくれた部下たちの一人。
    怒りで興奮していたせいか、頬が蒸気した顔が若いので下位の者だと(今の)私は思っていた。でも勝手に私の部屋へ入って来られるほどなのだから、理屈で考えてやはり地位が高く近しい部下だったと思う。
    私の記憶の中では支えてくれた部下たちの象徴にもなっている。実際、その派閥の代表のような存在だったのだが。
    確かにあの若者に心を救われた。彼がいなければ私は心を殺したまま死ぬことになっただろう。

    今となってはネガティブなことよりも、支えてくれた人々の存在を強く思い出す。
    感謝しかない。

    今世では未だに底辺の不甲斐ない人生で、何も成せずにいるが、せめて悪徳に身を染めずに誇りを持って生きていこうと思う。彼らのために。
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