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これは『どうやって占いを戦争で使ったんですか? 』に次いで多いご質問でした。
昔書いた記事をUPしていたつもりでしたが行方不明。改めて書き直してみます。内容的に重複があったらすみません。
(今さらこんな内容を書くのも正直、恥ずかしい。ただ、今なら大人目線で、他人の家の子供のように眺めることができるかなと思う)

Q.幼い頃、どんな子供でしたか?

A.本ばかり読んでいる大人しい子供でした。
 「椅子取りゲーム」などの競争が大の苦手で、いつも他人に譲ってばかりいたのを覚えています。
 大人びた態度をし、大人のような言葉遣いをするのでよく笑われましたが、学校の先生たちからは特別扱いを受けました。先生たちが他の子は「ちゃん」付けで呼ぶのに、私だけ「さん」付けで呼ぶことが嫌でたまらなかった。
 あまり書きたくないのですが、「特別に賢い子」扱いでした。(そしてそのことに恐怖を覚えたのは、小説等々に書いた通り)
 振り返ってみれば、現代日本であの特別扱いは少々異常だったなと思い出します。何をしても誰からも褒められた。いったい何だったのだろう?
 『永遠』シリーズ2018/4/25追加 最終話『雲間の光』で描いた幼少期は、実は今世幼少期の投影。大人たちに「子供らしくない子。気持ち悪い」と思われていることに気付いていたので、嫌われないよう必死で子供らしく見える演技をしていました。大人目線で見ると可哀想な子だったなと思います。

 その他。子供の頃、通知表(成績表)に毎回書かれた先生の言葉、
「控えめ過ぎます」
「もっと積極的になりましょう」
「もっと自己主張しましょう」
 悲しいかなこの性格は今でも変わりませんが、ブログがあるため少しは自己主張できるようになっているでしょうか。

 今となってはもう、幼い頃はまるで前世の記憶のようです。文字通りに。笑
 子供時代「末は博士か大臣か」という言葉をさんざん浴びましたが、「末ではなくて過去だったな」と密かに突っ込んでみたり。

 先日、雑誌でアインシュタインの手相を見かけ、自分と似たところがあったので驚きました。意外と大人たちの評価は正しく、可能性があったのかもしれない。
 子供時代から遠く離れた今だからこそ思います、少々もったいなかったなと。
 恐怖で固まって動けなくなっていたので仕方ないのですが、もう少し健全な自惚れを持つ子供であったなら、貧困なども押しのけて行けるところまで行けたのではないか。
 などと、気付いても後の祭り。
 運命の導くところは違っていたようです。

 これはこれでおそらく望んだ人生。
 最後まで堪能したいと思います。




/追記。
そう言えば、何か勘違いしている人もいるのだけど、私のアイデンティティ※は「前世という妄想」が拠り所になって作り上げられているわけではありません。
あくまでも上に書いた「現世の幼少期の、確たる思い出」こそが今の私の自己イメージの基礎です。
だから、「前世なんか絶対にあり得ない! それ故お前が抱いているお前自身のイメージは完全妄想で、存在しない!」と言い放ち、その人曰く「私の自惚れ」をへし折った気になっている人もいるのですが、残念です。あなた方には勝ち目のない勝負と言えます(この人たちが何故、私に勝とうとしているのか分かりませんが。一方的で無駄な勝負。笑)。
前世があるかないかという議論とは一切関係ないところで、現在の私の幼少期の思い出はこうして存在しているからです。

※アイデンティティ…自己同一性。「自分はこういう人間である」というイメージ。

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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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