我傍的、ここだけの話

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訳文と「考察」のご感想

以前 『我傍に立つ』を読んでくださった方から、『出師表』の現代語訳『翻訳して、どう思ったか(出師表の考察)』へご感想をいただきました。

私(吉野)の書いた文と、諸葛亮の書いた文の両方についてのご感想が混ざっているので、少々脳が混乱しております(笑)。

とにかくこのご感想がストレートで大変素晴らしいものでした。

『出師表』については歴史上たくさんの人が感想を言っていますが、おそらくこちらは最高の部類に入ると思います。
私一人の胸に閉まっておくのはもったいないので、恐縮ですが公開させていただきます。
ご感想をくださった方へ心より御礼申し上げます。ありがとうございました。


以下、囲み部分はいただいたご感想の引用です。
title: 涙が止まりません。。。

「出師表」、読ませていただきました。

泣いてます。
身につまされます。
彼の思いが痛々しく胸に突き刺さる思いです(想像だけなので、「思い」としています)。
正直、今も涙が止まりません。。。

我傍を読ませて頂いたせいか、私にも何となく風景が見えるような気さえします(もちろん見えませんが、悲しい風景のような気持ちです)。

「我傍を読んだ」だけの赤の他人が泣いているのだから、ご本人にはさぞかし辛いことでしょう。
私には言葉がありません。

>しつこい、くどいという批判

本人は必死だから、分かってほしいから、一生懸命伝えようとしているのに、それを「感じる」ことが出来ないのは人としてレベルが低すぎます。バカすぎます。じゃあこの内容を一言でさらっと言ったら、相手に情熱が伝わるとでも彼らは言うのか?人として伝えたいことはあなた達にはないの?あなたの人生には中身がないの?と言いたくなりますね。

吉野さんも書いていらっしゃいますが、「名文」とか「駄文」とかいう基準で判断するのは根本的に間違えている。
人として、とても深い思い、悲しみ、嘆願、が流れているのです。
さらに、孔明の背景には、亡くなっていた人たちの報われなかった思いや悲しみ、願いも含 めて。
それを感じられない人って何者?と思います。

>「この一文、一作品を書いたら、死んでもいい」

こんな純粋な人を他に知りません。
例の映画※の「I have no choice 」と同じですね。
現代社会では不器用と言われてしまう、真実を見て生きている人の言葉だと思います。

※映画『仮面の真実』

>伝えて死ねたら本望だ

ここが問題ですよね。
「伝えて」というのは、相手に理解力がないと無理。
こちらがボールを投げても相手が受け取れない、あるいはボール自体を見る能力がない、あるいはボールを投げた事自体に気がついてもない。。。世の中こんな事例ばかりな気がします。

ただ、絶望するのは早いかもしれません。

2000年後に吉野さんが魂を懸けてその思いを継ぎ、一応私みたいなのも片鱗を感じて涙しているので、一応ボールは受け取ったのかな。

アルカサルを読んで 、「傀儡にすべきだったのかも、、、」と思いを馳せられたとのこと、なんか参考になったみたいで嬉しかったです。
でも、傀儡にできなかった(したくなかった)のが諸葛孔明らしさだから、私はそんなところも好きですよ。
人間、完璧になんかなれないし、そこがいいところなんだと思います(傀儡にしていたら全て上手く行ったとも思えないし)。

(略)

出師表、訳していただいてありがとうございました。
心が洗われました。

彼の国(=人々)を思う強い気持ちを感じると、何故悲しくも、こんなに清々しい気持ちになるのでしょうか?
不思議です。
泣いているのに嬉しい。
やはり人間(魂)は深い部分で純粋で誠実な部分をいつも渇望している、という証拠なのでしょうか。

いつも「残念な人」(頭を全く使おうとしない怠惰な人、傲慢な人、タレントや女優のコピーだけしている女子など、、、タイプは色々ですが)ばかりを見ていて、一方、今回のような文を読むと物凄く嬉しいんです。カウンターパンチを食らったような感じでもあります(本当はこう生きるべきなんだよ!と言われている気がするんですよ)。
まだ泣いてますが、とても幸せな気分です(30分ぐらいずっ と泣いてます(笑))。文の一言一言からは彼の辛い(絶望的な)気持ちが伝わって来て辛かったのですが、今は感動で清々しく幸せな気分なんです。不思議です。

印刷して部屋に貼らせていただこうかと思ってます。
(不満や愚痴を言い始めたら直ぐに読め!という薬みたいなものとして)
いったいこのご感想の何が凄いのかと言うと、この方は『三国志』をほぼご存知ないのです。
どちらかと言うと西洋的な文化の中で育って来られて、(私と同じく)一般の『三国志』を読んだことがないのはもちろん、親や教師や友達からぼんやりと『三国志』キャラたちのイメージを植え付けられることもありませんでした。

それなのにここまでメッセージを受け取り、感じ取っていただいたというのはこの方ご自身の凄さだと思うのです。
(凄さ=魂の純粋さ)

ただ、もしかしたら『我傍』から入られたことも大きいかもしれません。

私が思うに、『三国志』しか情報がない方は『出師表』を読んでもあまり気持ちは感じられないはずです。
『出師表』で本当に泣いた方など1%に満たないのでは? →これは大きな勘違いでした。そんなことはなかった。昨今の「蜀漢貶め」プロパガンダに私自身も毒されていたと思います。

【別館参考】『三国志』知識ある人たちの『出師表』への感想

ただもう、そのほうが良いのかと思ったこともあります。
人間の気持ちがあまりにも伝わり過ぎると、悲しみが伝播して公害になるから、嘘の話で覆い隠されて伝わり過ぎないほうが良いのではと。


でも今回、上の方のご感想を読み、考えが変わりました。

>泣いているのに嬉しい。やはり人間(魂)は深い部分で純粋で誠実な部分をいつも渇望している、という証拠なのでしょうか。
>文の一言一言からは彼の辛い(絶望的な)気持ちが伝わって来て辛かったのですが、今は感動で清々しく幸せな気分なんです。不思議です。

そう……なのですか。

そのような文を書いても、良いのですね。


実を言うと私も、『我傍』の読者の方々には「泣かせてしまって済まない」と思っていました。
いただくご感想があまりにも「泣きました」ばかりなので、もしかしたら悲しみを伝播させているのかも? と反省しました。
涙っぽい気持ちにさせるだけの創作などいけない。
それでもうこのような感傷的な創作は書くまいと抑制していたところがあります。

ただ実際のことを言うと、自分の中にも『我傍』のように感情を揺さぶられながら書くような素材はもうないのですが。
(『永遠』は、お気付きの通り感情を抑制しているのではなく本当に冷静に書いています。かなり昔に終わったことなので視点も感情も離れているのです)

しかし今後、もし再び心揺さぶられる素材が生まれることがあれば、抑制はせず思いのままに書こうと決めました。

行くべき道を示してくださいました。感謝です。


最後にちょっとレス。

>印刷して部屋に貼らせていただこうかと思ってます。
>(不満や愚痴を言い始めたら直ぐに読め!という薬みたいなものとして)
 
これは、私のほうこそです。
日常生活に戻ると、どうでもいい愚痴ばかり口にしてしまい自分が嫌になります。

まさか『出師表』は壁に貼らないですが(笑)。
このご感想をパソコンのデスクトップなどに置いて、励みと戒めにしようと思います。
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