2018
Feb
17
-
「占い」から逃げ続ける西洋占星術の今後/『時空旅人』感想2
「東洋占いの解説が現実的になってきた」という話に続き、『時空旅人』2018年3月号感想。
『時空旅人』 “占い”の歴史と“運命”の謎に迫る
「西洋占星術の歴史」について感想を書きかったのだけど、史料に触れられる身ではないから曖昧な話になってしまう。
直観で、ここに書かれている(つまり考古学的に今のところ正しいとされる)古代占星術の成立時期は正確ではないと思ったものの、裏付ける物が何もない。
紀元前の話は考古学ジャンル。
遺跡発掘調査に赴いて反証することのできないため何も言えない。
(それを考えれば1800年前の、なんという近さ!)
でもさすがにホロスコープ占星術の成立を前1世紀頃とするのは遅過ぎる気がして違和感があった。
遺跡が発見されていない、あるいは書物としてまとめられていないだけで、それまでも今の占星術の基礎となる手法はあったのでは。
円形の占星術盤も、今の考古学者たちが思うほど新しくはないという気が私にはする。あくまでも直観に過ぎないが。
それから、この雑誌だけではなくてネットでも近年、
「古代の西洋占星術では獣帯の概念がなく、星座で個人の性格を読むようなことは一切されていなかった」
と書いている人たちもいるのだがそれはどうかなと常々疑問に思っていた。
(上の雑誌記事では一応、十二星座は古代にあったと解説しているが、やはり個人を占うことはなかったと書かれている)
黄道を十二分割した星座が成立している以上、
「星座で個人の性格を読むようなことは一切されていなかった」
ということはあり得ないと思う。
もちろん古代では国家の運勢を読むことが主で、庶民の性格などが占われることがなかったのは確かだが、王侯貴族に関しては性格も含めて運勢を占うことはあったと思うね。それも十二星座で。
我がままな王様たちが「自分を占え」と言わないはずはないし、性格タイプを表現するのに獣が属する星座ほど分かりやすいものはないのだから。
「獣」と書くとキリスト教世界では下等なものというイメージだから、王様を下等動物などにたとえることはあり得ないと思ってしまうだろうが、紀元前の地中海世界では動物たちは神様の遣い。王侯貴族を獣にたとえるのは、天上に属するという意味で称えることになる。
この話に付随して、どうも最近気になる流れは
「星座なんか実はどうでもいい。そもそも古代では星座など無視されていた」
と西洋占星術師たちが言い始めたこと。
もしかしたら近年、「太陽星座が当たらない」というお客様からのクレームが増えたために、「星座なんか本当はどうでもいいんです」と言うことにしたのだろうか。
しまいに
「占星術は学問であり占いではないのだから、当たる当たらないは関係ない。星座が当たっていない? そんなくだらないことはどうでもいい」
などと言う。
ついに西洋占星術は、占いから逃げ出してしまった。
西洋占星術は常に、何かから逃げ続けているという気が私にはする。
それは迫害され続けた歴史があるのでやむを得ないのかもしれないが。
この雑誌を眺めていても、迫害され否定され、幾度も消えかけた西洋占星術の歴史に暗い気持ちになった。
キリスト教によって迫害され、理不尽に殺され続けた占星術師たち。
時代が変われば今度は、「科学」という名の新たな宗教に迫害され続けることになった。
それで彼らは生き延びるために、学問を装い、科学を装っているのではないだろうか。
(かつてキリスト教に迫害された時代、キリスト教を装ったように)
気の毒に……気の毒に……。
占星術師たちの不幸な境遇を想うと涙が出てきてしまうが、逃げ延びるために学問や科学を装うことは間違っているのではと思う。狼の皮をかぶっても、迫害されることは変わらないのだから。
「占星術は占いではない、学問だ。占星学と呼べ」
と言ってみたり。
「天体の重力が地球上の人間に影響して性格を作る」
だの何だのと。
明らかに現実と合わない理屈をひねり出して物理科学を装っているが、しょせん世間からは「似非科学」と断じられ嘲笑されるだけ。
「占星術にスピリチュアルを持ち込むのは許せない」
などと言ってプライドを振りかざす占星術師たちも多い。彼らは世間の人たちから「占星術はスピリチュアル的なもの」というイメージで見られているのをご存知ないのだろうか。
占いが、占いから逃げてどうするのだろう。
占いは占い。
何故か分からないが当たるもの、物理次元で因果関係が証明できないものは高度な次元から与えられた知識であると言える。
それは何をどう繕っても、本質として「スピリチュアル」でしかない。
社会では立場が悪くなって肩身が狭いのは分かるけど、「スピリチュアル」を差別して自分だけ学者ぶっても世間では誰も認めてくれないから無駄なプライドだと思うな。
占い師である以上、当てていかなければ。(せめて性格くらいは)
自分のプライドで科学っぽい装いを選ぶよりも、本当に当たる占い方を探して選択していくことが占い師としての誠実なのではないか。
……とりとめのない雑談になってしまった。
前回記事で書いた通り、今まで作り話を吹聴し続けた東洋占術がようやく現実的になりつつあるいっぽう、「占い」から逃げて似非科学を捏造するようになった西洋占星術は誤った方向へ進んでいると思う。
まず西洋占星術は「占い」であることを認め、「スピリチュアル」を受け入れるべきなのだろう。
いや、むしろ西洋占星術こそが、高次元のスピリチュアル知識を受け継ぐ正当な伝道者であることを自認する。
そうすれば占星術は高度な次元へ飛躍するはずなのだが。
※いつものことですが、偉そうですみません。未熟者の筆者も勉強を続けます。
【追記箇所】 赤文字のところ追加しました。西洋占星術の成立時期で「1世紀頃」と書いた箇所、「前」が抜けていた(真夜中、寝ぼけ眼で書いているので間違い多々あり)。紀元前1世紀でも私は遅いなと思うものです。

「西洋占星術の歴史」について感想を書きかったのだけど、史料に触れられる身ではないから曖昧な話になってしまう。
直観で、ここに書かれている(つまり考古学的に今のところ正しいとされる)古代占星術の成立時期は正確ではないと思ったものの、裏付ける物が何もない。
紀元前の話は考古学ジャンル。
遺跡発掘調査に赴いて反証することのできないため何も言えない。
(それを考えれば1800年前の、なんという近さ!)
でもさすがにホロスコープ占星術の成立を前1世紀頃とするのは遅過ぎる気がして違和感があった。
遺跡が発見されていない、あるいは書物としてまとめられていないだけで、それまでも今の占星術の基礎となる手法はあったのでは。
円形の占星術盤も、今の考古学者たちが思うほど新しくはないという気が私にはする。あくまでも直観に過ぎないが。
それから、この雑誌だけではなくてネットでも近年、
「古代の西洋占星術では獣帯の概念がなく、星座で個人の性格を読むようなことは一切されていなかった」
と書いている人たちもいるのだがそれはどうかなと常々疑問に思っていた。
(上の雑誌記事では一応、十二星座は古代にあったと解説しているが、やはり個人を占うことはなかったと書かれている)
黄道を十二分割した星座が成立している以上、
「星座で個人の性格を読むようなことは一切されていなかった」
ということはあり得ないと思う。
もちろん古代では国家の運勢を読むことが主で、庶民の性格などが占われることがなかったのは確かだが、王侯貴族に関しては性格も含めて運勢を占うことはあったと思うね。それも十二星座で。
我がままな王様たちが「自分を占え」と言わないはずはないし、性格タイプを表現するのに獣が属する星座ほど分かりやすいものはないのだから。
「獣」と書くとキリスト教世界では下等なものというイメージだから、王様を下等動物などにたとえることはあり得ないと思ってしまうだろうが、紀元前の地中海世界では動物たちは神様の遣い。王侯貴族を獣にたとえるのは、天上に属するという意味で称えることになる。
この話に付随して、どうも最近気になる流れは
「星座なんか実はどうでもいい。そもそも古代では星座など無視されていた」
と西洋占星術師たちが言い始めたこと。
もしかしたら近年、「太陽星座が当たらない」というお客様からのクレームが増えたために、「星座なんか本当はどうでもいいんです」と言うことにしたのだろうか。
しまいに
「占星術は学問であり占いではないのだから、当たる当たらないは関係ない。星座が当たっていない? そんなくだらないことはどうでもいい」
などと言う。
ついに西洋占星術は、占いから逃げ出してしまった。
西洋占星術は常に、何かから逃げ続けているという気が私にはする。
それは迫害され続けた歴史があるのでやむを得ないのかもしれないが。
この雑誌を眺めていても、迫害され否定され、幾度も消えかけた西洋占星術の歴史に暗い気持ちになった。
キリスト教によって迫害され、理不尽に殺され続けた占星術師たち。
時代が変われば今度は、「科学」という名の新たな宗教に迫害され続けることになった。
それで彼らは生き延びるために、学問を装い、科学を装っているのではないだろうか。
(かつてキリスト教に迫害された時代、キリスト教を装ったように)
気の毒に……気の毒に……。
占星術師たちの不幸な境遇を想うと涙が出てきてしまうが、逃げ延びるために学問や科学を装うことは間違っているのではと思う。狼の皮をかぶっても、迫害されることは変わらないのだから。
「占星術は占いではない、学問だ。占星学と呼べ」
と言ってみたり。
「天体の重力が地球上の人間に影響して性格を作る」
だの何だのと。
明らかに現実と合わない理屈をひねり出して物理科学を装っているが、しょせん世間からは「似非科学」と断じられ嘲笑されるだけ。
「占星術にスピリチュアルを持ち込むのは許せない」
などと言ってプライドを振りかざす占星術師たちも多い。彼らは世間の人たちから「占星術はスピリチュアル的なもの」というイメージで見られているのをご存知ないのだろうか。
占いが、占いから逃げてどうするのだろう。
占いは占い。
何故か分からないが当たるもの、物理次元で因果関係が証明できないものは高度な次元から与えられた知識であると言える。
それは何をどう繕っても、本質として「スピリチュアル」でしかない。
社会では立場が悪くなって肩身が狭いのは分かるけど、「スピリチュアル」を差別して自分だけ学者ぶっても世間では誰も認めてくれないから無駄なプライドだと思うな。
占い師である以上、当てていかなければ。(せめて性格くらいは)
自分のプライドで科学っぽい装いを選ぶよりも、本当に当たる占い方を探して選択していくことが占い師としての誠実なのではないか。
……とりとめのない雑談になってしまった。
前回記事で書いた通り、今まで作り話を吹聴し続けた東洋占術がようやく現実的になりつつあるいっぽう、「占い」から逃げて似非科学を捏造するようになった西洋占星術は誤った方向へ進んでいると思う。
まず西洋占星術は「占い」であることを認め、「スピリチュアル」を受け入れるべきなのだろう。
いや、むしろ西洋占星術こそが、高次元のスピリチュアル知識を受け継ぐ正当な伝道者であることを自認する。
そうすれば占星術は高度な次元へ飛躍するはずなのだが。
※いつものことですが、偉そうですみません。未熟者の筆者も勉強を続けます。
【追記箇所】 赤文字のところ追加しました。西洋占星術の成立時期で「1世紀頃」と書いた箇所、「前」が抜けていた(真夜中、寝ぼけ眼で書いているので間違い多々あり)。紀元前1世紀でも私は遅いなと思うものです。
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