2015
Mar
15
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命を削って書くということ
去年から作家の百田尚樹氏のツイッターが、「命を削って執筆」云々発言で炎上しているらしいです。
なんでも百田氏は
本当に見事なブーメラン(自分の発言が自分に返って来る)ツイートで溜息が出ますね。
たくさん記事を書いていれば、矛盾した話は山ほど出ると思います。その時によって考え方も変わります。私の記事にも山ほど矛盾があるでしょう。
でもさすがに私は、上の矛盾はよく分からないかな。
命を削って書いたことのある人は、最初のツイートのような批判を絶対しないですよね。
私だったら出来ないな、と思うのです。
要するに百田氏は、「命を削って執筆」ということに関して、本音を書いていなかったということです。
つまり「自分はどうなのか」というところで、嘘を書いてしまっているということになります。
もっとはっきり言えば、「命を削って執筆」した経験なんてないんだよねこの人。
何の経験もない中学生が恋愛について語るのと同じで、その場その場の想像で「執筆云々」について語るから矛盾したことになるのでしょう。
プロの作家が「命を削って執筆した」ということを自分で言うべきかどうか。
それは読者としての私には、どちらでも良いと思います。
プロなんだから多かれ少なかれ命を削って書くのは当たり前。それはどんな仕事でも同じでしょう?
ただそこをあえて「命を削って執筆した」と言う作家がいたとしたら、もう死んでもいいと思えるような仕事が出来たということなのだろうと想像しますので、本好きとしてはぜひ読んでみたいと思うものです。
しかし作家さんたちに勘違いして欲しくないのですが、その「命を削る」という言葉が、体力を注ぎ過ぎて倒れて入院したなどの意味なら興味もありません。(おそらく百田氏の言う「命を削る」はこちらの意味)
そんなの単にスケジュール管理が悪いだけの人ということになります。
フリー、すなわち自営業者は自分でスケジュール管理して体力調整もしなければならない。倒れて入院したことについては完全に自己責任。お客様に責任はないのだから、「仕事できない。命削ったんだから許して!」なんて言っても許されることではありません。
つまり作家が「命を削る」と言った時、体力のことであるはずがない。あってはならない。
それは「魂を削る」と同義だと思うのですよ。
少なくとも読者としての私はそう受け取ります。
私は素人ですが、『我傍に立つ』を書いた時には命を削ったと言えます。
24時間通しで食事もせずに書き続け、ほとんど意識を失い倒れ込んだ日もありました。それは体力を注いだということになりますが、そんなこと以上に「命を削った」と言えるのは精神を注いだことです。
『我傍』は内容上、(思い出してしまうので)本当に泣きながら書きました。
泣きながら書いたと言うと皆さん嫌悪して軽蔑されるものの、事実なのだから仕方がないです。なにもわざわざ隠すことでもありません。
息もつけぬほど泣きながら書くという作業、体力は非常に消耗しますし、心を削ります。実際に寿命も縮んだと思います。
だから私は、
「あんなものはもう二度と書けません。ごめんなさい」
と謝るしかないのです。
事実ですから。
同じことを二回やれば死にます。
……と、
私はこれを自慢や宣伝のために言っているのではなくて、「同じような作品を書いてください!」とリクエストされる人に対して、お断りをする目的で言っているのです。
純粋に、「言い訳」とも呼びます。
この「命を削って書く」件について、かつてプロ作家の福井晴敏氏はこう言いました。
「作家が命を削って書くのは当たり前。
体なんか大事にして、どうするんですか」
NHKの番組にて読者からの質問に半切れになりながら答えたものです。
(正確な記憶ではないので、だいたいの要旨です)
それまで「小説はエンターテイメントだから売れなければならない」、「自分は売れることだけ考えて書いている」などと不遜なことを言っていた福井氏が一転、本音を垣間見せた瞬間でした。
「僕は作家であることが幸福だ。
作家として生きていくために書く。
そのために死ぬ? はあ? それがどうした。書いて死んで、本望だ」
そんな福井氏の意志が伝わってきて痺れました。
そして実際に彼の本を読んでみると、決して売れるためだけに書いている内容とは思えません。エンターテイメントの皮を被った本音を伝えるための小説です。
命削っているんだなこの人、ということが分かる作品ばかりです。
私などは作家として生きていく気もなく、その可能性もない素人なのに福井氏の発言を聞いて何故か「申し訳ない」と思いました。
「次に同じことをやったら死ぬ」
ということを言い訳に、せっかく称賛してくださった最初の読者の方々の気持ちから逃げ回っていた。
書いて、死んで、本望。
もし次に命を削って書くことがあるなら、私は福井氏のような気持ちで書きたいと思います。
(まあそんな機会ももう、巡って来ないかもしれないですがね)
なんでも百田氏は
「命を削って書いた」とか自分でのたまう作家がたまにいる。大袈裟にもほどがある。仮に本人がそう思っていたにせよ、そんなこと口に出して言うなよと思う。と他人を非難しておきながら、自分は
@hyakutanaoki 2012.6.18
この半年間、命を削る思いで執筆した。こんな本はもう二度と書けない!とツイートしている。
@hyakutanaoki 2014.11.5
本当に見事なブーメラン(自分の発言が自分に返って来る)ツイートで溜息が出ますね。
たくさん記事を書いていれば、矛盾した話は山ほど出ると思います。その時によって考え方も変わります。私の記事にも山ほど矛盾があるでしょう。
でもさすがに私は、上の矛盾はよく分からないかな。
命を削って書いたことのある人は、最初のツイートのような批判を絶対しないですよね。
私だったら出来ないな、と思うのです。
要するに百田氏は、「命を削って執筆」ということに関して、本音を書いていなかったということです。
つまり「自分はどうなのか」というところで、嘘を書いてしまっているということになります。
もっとはっきり言えば、「命を削って執筆」した経験なんてないんだよねこの人。
何の経験もない中学生が恋愛について語るのと同じで、その場その場の想像で「執筆云々」について語るから矛盾したことになるのでしょう。
プロの作家が「命を削って執筆した」ということを自分で言うべきかどうか。
それは読者としての私には、どちらでも良いと思います。
プロなんだから多かれ少なかれ命を削って書くのは当たり前。それはどんな仕事でも同じでしょう?
ただそこをあえて「命を削って執筆した」と言う作家がいたとしたら、もう死んでもいいと思えるような仕事が出来たということなのだろうと想像しますので、本好きとしてはぜひ読んでみたいと思うものです。
しかし作家さんたちに勘違いして欲しくないのですが、その「命を削る」という言葉が、体力を注ぎ過ぎて倒れて入院したなどの意味なら興味もありません。(おそらく百田氏の言う「命を削る」はこちらの意味)
そんなの単にスケジュール管理が悪いだけの人ということになります。
フリー、すなわち自営業者は自分でスケジュール管理して体力調整もしなければならない。倒れて入院したことについては完全に自己責任。お客様に責任はないのだから、「仕事できない。命削ったんだから許して!」なんて言っても許されることではありません。
つまり作家が「命を削る」と言った時、体力のことであるはずがない。あってはならない。
それは「魂を削る」と同義だと思うのですよ。
少なくとも読者としての私はそう受け取ります。
私は素人ですが、『我傍に立つ』を書いた時には命を削ったと言えます。
24時間通しで食事もせずに書き続け、ほとんど意識を失い倒れ込んだ日もありました。それは体力を注いだということになりますが、そんなこと以上に「命を削った」と言えるのは精神を注いだことです。
『我傍』は内容上、(思い出してしまうので)本当に泣きながら書きました。
泣きながら書いたと言うと皆さん嫌悪して軽蔑されるものの、事実なのだから仕方がないです。なにもわざわざ隠すことでもありません。
息もつけぬほど泣きながら書くという作業、体力は非常に消耗しますし、心を削ります。実際に寿命も縮んだと思います。
だから私は、
「あんなものはもう二度と書けません。ごめんなさい」
と謝るしかないのです。
事実ですから。
同じことを二回やれば死にます。
……と、
私はこれを自慢や宣伝のために言っているのではなくて、「同じような作品を書いてください!」とリクエストされる人に対して、お断りをする目的で言っているのです。
純粋に、「言い訳」とも呼びます。
この「命を削って書く」件について、かつてプロ作家の福井晴敏氏はこう言いました。
「作家が命を削って書くのは当たり前。
体なんか大事にして、どうするんですか」
NHKの番組にて読者からの質問に半切れになりながら答えたものです。
(正確な記憶ではないので、だいたいの要旨です)
それまで「小説はエンターテイメントだから売れなければならない」、「自分は売れることだけ考えて書いている」などと不遜なことを言っていた福井氏が一転、本音を垣間見せた瞬間でした。
「僕は作家であることが幸福だ。
作家として生きていくために書く。
そのために死ぬ? はあ? それがどうした。書いて死んで、本望だ」
そんな福井氏の意志が伝わってきて痺れました。
そして実際に彼の本を読んでみると、決して売れるためだけに書いている内容とは思えません。エンターテイメントの皮を被った本音を伝えるための小説です。
命削っているんだなこの人、ということが分かる作品ばかりです。
私などは作家として生きていく気もなく、その可能性もない素人なのに福井氏の発言を聞いて何故か「申し訳ない」と思いました。
「次に同じことをやったら死ぬ」
ということを言い訳に、せっかく称賛してくださった最初の読者の方々の気持ちから逃げ回っていた。
書いて、死んで、本望。
もし次に命を削って書くことがあるなら、私は福井氏のような気持ちで書きたいと思います。
(まあそんな機会ももう、巡って来ないかもしれないですがね)
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