2018
May
06
-
“カンフー村” 、かつて思い描いた夢としての中華
フジ『世界!極タウンに住んでみる』という番組で中国貴州省の“カンフー村”なるものを見かける。
なんでも村人全員がカンフーを身に付けているとか。
400年前から山賊などに対抗するため、カンフーを訓練してきたという。
最近になって発見された村だそうで、それまで外部との交流はなかったとのこと。
中国内陸、山間の小さな村であるためか。戦争も飢餓も影響なし? 文革さえもスルー? 本当に良かった、ご無事で何より。
今は中国政府に発見されて話題となっているので、電気も水道も引かれ、村の入り口には立派な中華風の門も建っている。
だからどこまで昔のままなのか分からないけど、少なくとも棚田が広がる村の景色はまるで東洋ファンタジー。
なんて美しい! 溜息が出る。
参照 ⇒カンフー村の画像
そして村人全員がカンフーを身に付けているのは本当のようで、男性はもちろん女性も老人も幼い子供まで、皆が日常にカンフーを取り入れている。
鎌で草を刈っている男性は、鎌を武具のようにクルクル回す。
骨折を装う老人はカモフラージュで松葉杖を突き、いざとなればその杖で戦う素振りを見せる。
まるでマンガだ。(仕込みかもしれないと疑ってしまうほど出来過ぎている)
次の映像で、おばさんたちが豆腐を作っているのだけど、その作業も腰が入っていてなんとなくカンフー風の仕草。
「日常の作業がカンフーの訓練になるのよ」
と言いながら右に左に腕を回す様子はまるで……、そう、あれはまさに『ベストキッド』!
映像を観ていた芸能人たちが、(若い山本美月さんを除き)全員で同時に「ベストキッド!!」と叫びながら手を円形に回していたのが嬉しかった。
『ベストキッド』と言ってもジャッキー・チェン版ではなくて、もちろん初期版、ミヤギさん(日本人)のやつ。
若い人はたぶんご存知ないでしょう。
拭き掃除をしながら、
「右手。左手」
と手を回して空手の練習をイメージしたものだ。
あまり映画などの影響を受けることのない、私でさえやった。憧れたなあ。
⇒ご存知ない方は参照。皆が憧れた空手の訓練法
現実の中国にあの映画のような武術訓練をしている村人たちが存在した(どこまで本当か分からないが)、という映像を観て嬉しかった。
確かに、気分が上がった。
久しぶりに子供時代の夢を見たようで、「ワクワク」した。若干ドーパミンが出たかもしれない、笑。感謝。
そう言えばこれが子供時代に思い描いていた「中国」「東洋文化」の光景だったなと思い出す。
もちろん今世限定の子供時代のこと。
現代だけの自分の意識にて、「中国」「東洋文化」を思い出したのは久しぶりだったことに我ながら驚いている。
正直、十七歳のあの時点から私の「中国」「東洋文化」のイメージは書き換えられてしまったからね。
子供の頃はまだ何も知らず、テレビや映画で植え付けられた「中華」のイメージを信じていた。※
カンフー、チャイナ服、ラーメンに餃子。笑
シルクロードの壮大な旅。
老子の修行に、「昇竜拳!」。
そしてそれらは緩やかに日本文化にもつながっていると信じていて、『ベスト・キッド』のミヤギさんの訓練法は日本にも現実にあると信じていたのだから笑える。
実際は、中世以前に中国と日本の文化は分断され、我々がイメージしていた「近代中華」はあまり今の日本とは関係がなかった。
(日本文化はむしろ古代中国風だった)
『ベスト・キッド』に憧れて日本を訪れるアメリカ人が落胆するように、周りを見渡してもミヤギさんは見当たらないと大人になるにつれて気付いていった。
それが今、“カンフー村”として映像で目の前に現れたので、オジサンたちは興奮しているのである。笑
子供の頃に見ていたファンタジーが存在していたのだから。
残念なことに。
中国政府がこの“カンフー村”を発見してしまってから観光客が大勢訪れるようになり、既に村は変わりつつあるらしい。
こんな最後の秘境にも近代化の波が押し寄せるのは仕方がないことだとは思う。
観光のための演武で村人が豊かになるのは構わない。
だけど中国政府よ、余計な手を出すな。頼むからもう大切なものを壊さないでくれ。
こんなことを言っていいのか分からないが。
ああ、あの横暴な政府が消滅してくれないかな! 存在していても何の得もない、存在意義はゼロなのだと気付いて自主的に解散して欲しい。
あまりにもかけがえのない、貴重過ぎるものを壊し過ぎなのだ、奴らは。
思えば色々変わり、たくさんの貴重な伝統が失われてしまった。
夢を与えてくれたファンタジー世界が消えていく。
古代から見れば変わり果てたことは言うまでもないが、我々の子供時代から見ても激変してしまったことは寂しい。
※カンフー時代の中華創作と歴史小説の、拒絶感の差について:
振り返ってみれば、子供の頃の私はカンフーなどの中華的な創作をそれほど拒否していなかった。特別に中華世界が好きというわけではなかったが。笑
なお、前も書いた通り『三国志』のような「歴史物」というジャンルはアレルギーがあって受け付けなかった。説明が難しいのだが、要するに「講談調」で語られる東洋系の歴史物が駄目だったらしい。軍記物は特に激しい拒絶感があり、一ページ目で「おえっ」と来る。/おそらく自分が知る現実との食い違い、違和感がアレルギーのもとだった。
カンフーなどの中華創作は、はっきり「古代中国」とは別文化として捉えることが可能だったので大丈夫だったのかもしれない。(つまり、自分とは関わりのない時代・文化なので大丈夫だった)
なんでも村人全員がカンフーを身に付けているとか。
400年前から山賊などに対抗するため、カンフーを訓練してきたという。
最近になって発見された村だそうで、それまで外部との交流はなかったとのこと。
中国内陸、山間の小さな村であるためか。戦争も飢餓も影響なし? 文革さえもスルー? 本当に良かった、ご無事で何より。
今は中国政府に発見されて話題となっているので、電気も水道も引かれ、村の入り口には立派な中華風の門も建っている。
だからどこまで昔のままなのか分からないけど、少なくとも棚田が広がる村の景色はまるで東洋ファンタジー。
なんて美しい! 溜息が出る。
参照 ⇒カンフー村の画像
そして村人全員がカンフーを身に付けているのは本当のようで、男性はもちろん女性も老人も幼い子供まで、皆が日常にカンフーを取り入れている。
鎌で草を刈っている男性は、鎌を武具のようにクルクル回す。
骨折を装う老人はカモフラージュで松葉杖を突き、いざとなればその杖で戦う素振りを見せる。
まるでマンガだ。(仕込みかもしれないと疑ってしまうほど出来過ぎている)
次の映像で、おばさんたちが豆腐を作っているのだけど、その作業も腰が入っていてなんとなくカンフー風の仕草。
「日常の作業がカンフーの訓練になるのよ」
と言いながら右に左に腕を回す様子はまるで……、そう、あれはまさに『ベストキッド』!
映像を観ていた芸能人たちが、(若い山本美月さんを除き)全員で同時に「ベストキッド!!」と叫びながら手を円形に回していたのが嬉しかった。
『ベストキッド』と言ってもジャッキー・チェン版ではなくて、もちろん初期版、ミヤギさん(日本人)のやつ。
若い人はたぶんご存知ないでしょう。
拭き掃除をしながら、
「右手。左手」
と手を回して空手の練習をイメージしたものだ。
あまり映画などの影響を受けることのない、私でさえやった。憧れたなあ。
⇒ご存知ない方は参照。皆が憧れた空手の訓練法
現実の中国にあの映画のような武術訓練をしている村人たちが存在した(どこまで本当か分からないが)、という映像を観て嬉しかった。
確かに、気分が上がった。
久しぶりに子供時代の夢を見たようで、「ワクワク」した。若干ドーパミンが出たかもしれない、笑。感謝。
そう言えばこれが子供時代に思い描いていた「中国」「東洋文化」の光景だったなと思い出す。
もちろん今世限定の子供時代のこと。
現代だけの自分の意識にて、「中国」「東洋文化」を思い出したのは久しぶりだったことに我ながら驚いている。
正直、十七歳のあの時点から私の「中国」「東洋文化」のイメージは書き換えられてしまったからね。
子供の頃はまだ何も知らず、テレビや映画で植え付けられた「中華」のイメージを信じていた。※
カンフー、チャイナ服、ラーメンに餃子。笑
シルクロードの壮大な旅。
老子の修行に、「昇竜拳!」。
そしてそれらは緩やかに日本文化にもつながっていると信じていて、『ベスト・キッド』のミヤギさんの訓練法は日本にも現実にあると信じていたのだから笑える。
実際は、中世以前に中国と日本の文化は分断され、我々がイメージしていた「近代中華」はあまり今の日本とは関係がなかった。
(日本文化はむしろ古代中国風だった)
『ベスト・キッド』に憧れて日本を訪れるアメリカ人が落胆するように、周りを見渡してもミヤギさんは見当たらないと大人になるにつれて気付いていった。
それが今、“カンフー村”として映像で目の前に現れたので、オジサンたちは興奮しているのである。笑
子供の頃に見ていたファンタジーが存在していたのだから。
残念なことに。
中国政府がこの“カンフー村”を発見してしまってから観光客が大勢訪れるようになり、既に村は変わりつつあるらしい。
こんな最後の秘境にも近代化の波が押し寄せるのは仕方がないことだとは思う。
観光のための演武で村人が豊かになるのは構わない。
だけど中国政府よ、余計な手を出すな。頼むからもう大切なものを壊さないでくれ。
こんなことを言っていいのか分からないが。
ああ、あの横暴な政府が消滅してくれないかな! 存在していても何の得もない、存在意義はゼロなのだと気付いて自主的に解散して欲しい。
あまりにもかけがえのない、貴重過ぎるものを壊し過ぎなのだ、奴らは。
思えば色々変わり、たくさんの貴重な伝統が失われてしまった。
夢を与えてくれたファンタジー世界が消えていく。
古代から見れば変わり果てたことは言うまでもないが、我々の子供時代から見ても激変してしまったことは寂しい。
※カンフー時代の中華創作と歴史小説の、拒絶感の差について:
振り返ってみれば、子供の頃の私はカンフーなどの中華的な創作をそれほど拒否していなかった。特別に中華世界が好きというわけではなかったが。笑
なお、前も書いた通り『三国志』のような「歴史物」というジャンルはアレルギーがあって受け付けなかった。説明が難しいのだが、要するに「講談調」で語られる東洋系の歴史物が駄目だったらしい。軍記物は特に激しい拒絶感があり、一ページ目で「おえっ」と来る。/おそらく自分が知る現実との食い違い、違和感がアレルギーのもとだった。
カンフーなどの中華創作は、はっきり「古代中国」とは別文化として捉えることが可能だったので大丈夫だったのかもしれない。(つまり、自分とは関わりのない時代・文化なので大丈夫だった)
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