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前記事の件で、
宇宙人が占星術を持ち込んだと仮定した場合は、サイデリアルとトロピカルのどちらが正しくなるか?」
と想像を巡らせていました。
(危ない人の異次元妄想。今に始まったことではないので、放置してください。笑)

ここで言う「正しい」とは、どちらが使い勝手が良いか? というだけの基準。
つまり、地球上における時空を表わす座標として、サイデリアルとトロピカルのどちらが長期の使用に耐え得るか? ということなのですが。

難しい問題で悩みます。
)ポールシフトで歳差運動が不安定な期間があったり、黄道すら今の通りではなくなると仮定した場合、「現実の天体通りに占っているから正しい」とするサイデリアル派の主張は少々分が悪い気もします。計算上の架空サインで時空を表わしたほうが「地球時空」を表す概念として長期に使えるのでは。

ところでこの件で検索していた際、「サイデリアルが当たる人、トロピカルが当たる人の二種類が存在する」と仰っているサイト様を見かけました。
私の読み通りです。
ただしその割合は、
 サイデリアル: 99%
 トロピカル: 1%

なのだとか……。

その方が仰るには、
「サイデリアルの人たちでも、トロピカルで読めなくもない」
らしい。
ただし逆は完全不可能。
「トロピカルが当たる人たちは、サイデリアルで読むと全く意味が通らなくなる」とのこと。

私は自分のホロスコープをサイデリアルで読むと完全に意味不明となるから、1%の人間なのですか? 汗
にわかには信じ難いです。
確かに体験は尋常ではないですがね。見た目も人生もいたって平凡だというのに。

(私が鑑定した方々も、遠く眺める著名人たちも、皆さんトロピカルで生きているように見える。それはたまたま私が見かける人たちが全員1%側だったのか? それとも仰る通りの「勘違いの読み」をしていただけなのか)

仮にこの方の仰る通りだとすれば、では「トロピカル派」の1%とは何なのでしょうか。
「新しく地球にやって来た宇宙人」?
「生まれたばかりの魂」?
自分の記憶上、それはないですけどね。
どちらかと言えばかなり古いほうの魂だと思うのだが……。
もしかして古い魂の居残り組がこの1%なのかもしれない。――だとすればやはり、一万二千年前はトロピカルが選択されていた可能性があります。(失われた知識が途中で蘇ったということ。あらゆる科学知識は再発見に過ぎない)


謎は尽きません。この件はこれからも分析していきます。
とりあえず、「サイデリアルのほうが当たる気がする」と感じられている人へご報告として書きました。
以前の記事で否定的に書いてしまったことのお詫びです。
ご自身のネイタルホロスコープを研究してみてください。

それから、『サイデリアルか、トロピカルか問題(再考) 』の記事へ追記もしておきました。
「アセンダントは性格を表すものではない。月だけが性格なのだ」と仰るインド占星術師の方を見かけ、それは違うのではと思った話を書いています。



追加の話。

人は自分の所属する派閥を守るために平気で嘘をつく生き物。
特にそれが自分の生活の糧となっている場合、嘘をつくことはその人にとっての迷いなき正義にもなります。

だからサイデリアル派の占星術でご飯を食べているプロが、
「サイデリアルが当たる人は99%」
と主張する話には保身のための嘘や願望の反映も含まれるかもしれません。そのままの数字を鵜呑みにしないようご注意ください。
ただ、通常のプロは敵対する主張が1%も存在することを許さないものなので、1%とは言え残したことは奇跡的な誠実と言えるのではないかと思いご紹介しました。
99%というのは少し大げさですが、私もサイデリアルが当たる人はある程度の割合で存在すると思います。

それにしても、太陽星座中心派のプロだけではなく、サイデリアル派の人々までも最近になって
「アセンダントは性格を表わさない。だからトロピカルでいくらアセンダントサインが当たっていても気のせい。あくまでも正しいのはサイデリアル」
などと言い出したのは呆れてしまいました。
性格占いとしてほとんど当たらないことの言い訳として、それまでの主張を覆すのはいかがなものか。

太陽星座中心派とサイデリアル派、どちらも「当たらない」と言われると「これは性格を占うものではないから」云々と屁理屈を言い反撃してくるところはよく似ているなと思います。
そんな彼らは最終的に必ず
「占星術は本来、国家を占うもので個人を占うものではない」
という上からの主張で一般客を斬り捨てることになります。
占星術は高尚な学問、そう考えて高みに座すのも悪くないでしょう。
しかし個人の性格さえ占えない占いが、果たして国家を占えるものかなと不思議に思います。

まあ、占いに興味のない方から見ればそもそも「占いなんて当たるわけがない。そんなものを信じるほうがバカ」ということになりますので、延々とどの手法が正しいか議論することもバカらしい。
これはあくまでも気楽な思考の体操として考えるべきことだと思います。
しかし思考体操だからこそ、結果について嘘はつかず誠実であって欲しいですね。
「学問」と言いたいのなら、なおさらです。(生活のための嘘がまかり通る分野のどこが、学問なのだろう)

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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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