2018
Jun
09
-
水瓶座的な理想とは? 『永遠の雨、雲間の光』シリーズご感想ありがとうございました
B様、メールありがとうございます。個人情報に関わることは伏せ、ご感想の部分のみレスさせていただきます。
『永遠』シリーズ、最後まで全てお読みいただきありがとうございました。
『我傍』とかなりイメージが違うため、ご不興を買うのではといつもヒヤヒヤしております。(心配性)
「面白い」という言葉にはさまざまなニュアンスが含まれると思います。特に小説では、「興味深い」とか「感情が動いた」という意味があるはずで、読者様に何らか感じていただいたことは書いた者にとって報いとなります。
決して、悲劇的な話を面白がっているわけではないこと、充分に分かります。
私は前世の話などということを、全ての人に信じてもらえるとは思っていません。
信じてもらうことは不可能な願いです。だから、そんな不可能を願うよりもまず、物語として味わっていただきたいと思いながら書きました。
「まとまりがある」と仰っていただけて嬉しいですが、それは物語を味わってもらいたくて穴だらけの記憶を創作で補っているからかと思います。第一話、ギリシャでの記憶まではまだリアリティがありましたが、記憶のまま書くなら場面が飛び飛びで小説にはならなかったでしょう。
(『我傍』の記憶が最も詳しく、遡るごとに曖昧になっていきます)
正確にお読みいただいて、ありがとうございます。
彼の読解力が崩壊しているのは、たぶん心の病気のせいもあると思います。予想外のいちゃもんには参りましたね。苦笑
>独裁者が頂点にいるという点で全く水瓶座的世界ではないと思い直しました。
>良き支配者が頂点にいたとしてもひとびとがただ考えもなく付き従うようでは全体主義と同じくくらいだめ
私も全くその通りに思います。
関係ないかもしれませんが、諸葛亮を主人公としためずらしいフィクションで、『時の地平線』というマンガがあります。あれは一人の賢い指導者が、愚かな民を動かし世界をコントロールするというスタンスで描かれています。(念のため、私の小説はこのマンガを参考にしたものではありません。『時地』は『我傍』のかなり後、主人公の外見についてはむしろ逆かもと妄想しています)
三国志にしてはめずらしく(笑)高度な思想を織り込んだ素晴らしい創作なのですが、実際の社会であれではダメだと私は思いました。民が主でなければ。
と言っても、民だけに委ねてしまってはそれもまた混沌と暴走を招くだけ。
水瓶座としての理想世界は皆がフラットで横のつながりを持ち、全員で物事を決めていくことですね。
ただその場合、全員が「善良」で「友好的」であることが前提となります。
おそらく死後世界の、高等な魂同士だったらそれが可能なのでしょうが、残念ながら地上は善良な人ばかりではない。必ず欲得で他人に危害を加えようとする者、敵対しようとする者がいて扇動します。
私は上の小説でも民の混沌を書きましたが、現代社会はまさにそうなりかけています。
SNSで誰もが対等に意見し合うようになった結果、くだらないことで炎上が起き、ワイドショー的な興味本位で全員がハイエナのように誰かを餌食として貪り食うことに夢中。
いずれ残虐で無意味な戦争へ暴走することは火を見るより明らかです。
プラトン(ギリシャの哲学者)は民主主義を「愚民政治(衆愚政治)」と呼んで憎みました。現代社会のようになってしまうからです。
安易な民主主義はもしかしたら「最高の政治体制」とは言えないのかもしれません。
【関連記事】(ややこしいかも) プラトンの予言、民主主義の末路
実は、『我傍に立つ』を書いた時は一つ前の過去世そのままの気持ちで、古代東洋思想に拠って書いたのだと思います。
しかし『永遠の雨』シリーズの時には、もしかしたらプラトン由来の西洋思想に拠って書いたのかもしれません。
このため『我傍』は民主主義的、『永遠』はアンチ民主主義にも見えて、我ながら矛盾しているように思えます。
私自身が今この東西思想に引き裂かれて、どっちつかずになっていると言えるのでしょう。
今の私には「今後の社会をどうすべきか」という壮大なことは分かりません。分かったところで、私ごとき無名人にはどうしようもありませんが。
ただ願うことに罪はないのなら、
・良き指導者が
・道義心を持つ民の心に従い
・皆が仲良く穏やかに暮らしていくための社会を作る
という理想の実現を私は願います。
真の意味で「皆が主役」で、しかも「友好的」かつ、「人道」が叶っている状態が水瓶座らしい世界だと思いますね。
つまり難しい理屈ではなく、ただ、仲良く平和に暮らせたらいいのになと思うだけです。
もう本当に誰かが虐待されることに耐えられないし、これ以上の殺戮は見たくないというのが本音です。
それがこれほど地上で叶い難いなら、いっそのことリセットしてしまいますか? などと思ってしまうのが水瓶座の怖いところか。でもこう思うのはきっと、私だけではないのでしょう。
(リセットしてしまったら地上で真実が実現せず、B様の「わくわく」も叶わなくなってしまう。可能ならリセットなしで行って欲しいですね)
……と、ご感想のレスと言うよりはまた独白のような記事になってしまいました。すみません。
このたびは全巻読了とご感想、本当にありがとうございました。(十字の誤りについてもご指摘大感謝です! 現在、修正中です)
今後とも当サイトおよびブログを宜しくお願い致します。
何かお気付きの点があればぜひご指摘ください。
『永遠』シリーズ、最後まで全てお読みいただきありがとうございました。
『我傍』とかなりイメージが違うため、ご不興を買うのではといつもヒヤヒヤしております。(心配性)
1巻目を読ませていただきました。とても面白かったです。いや、悲惨なお話ですし実体験に基づく物語を面白いなどというのは失礼な表現だと思うのですが……読めてよかったです。ありがとうございました。「面白い」ですか! この暗い第一話については初めて言われました。嬉しいです。ありがとうございます。
「面白い」という言葉にはさまざまなニュアンスが含まれると思います。特に小説では、「興味深い」とか「感情が動いた」という意味があるはずで、読者様に何らか感じていただいたことは書いた者にとって報いとなります。
決して、悲劇的な話を面白がっているわけではないこと、充分に分かります。
失礼を承知で申し上げますが、この物語について吉野様の実体験であるはずがないという声があがるのは、物語としてのまとまりがすごくよい、というのもあるのではないでしょうか。ひとりの人間の「記録」がこのように「読ませる」ものとしてまとまっていることに違和感を覚えるひとがいるのかもしれないと感じました。いえ……そもそも「過去世の記憶」という時点でほとんどの人が信じないのでは? と思いますが。笑
私は前世の話などということを、全ての人に信じてもらえるとは思っていません。
信じてもらうことは不可能な願いです。だから、そんな不可能を願うよりもまず、物語として味わっていただきたいと思いながら書きました。
「まとまりがある」と仰っていただけて嬉しいですが、それは物語を味わってもらいたくて穴だらけの記憶を創作で補っているからかと思います。第一話、ギリシャでの記憶まではまだリアリティがありましたが、記憶のまま書くなら場面が飛び飛びで小説にはならなかったでしょう。
(『我傍』の記憶が最も詳しく、遡るごとに曖昧になっていきます)
解説にあった、戦争と陣形云々の話ですが……こりゃいくらなんでも読解力が崩壊してるだろうと思いました。笑
吉野様の反論も納得がいくものですが、それ以前に、これ、先生の言葉じゃないですよね。先生の弟子もどきが勝手に先生の言葉を曲解しているとも読み取れるわけで……無理無理ないちゃもんに唖然!です。
正確にお読みいただいて、ありがとうございます。
彼の読解力が崩壊しているのは、たぶん心の病気のせいもあると思います。予想外のいちゃもんには参りましたね。苦笑
第4話で「我傍に立つ」のように極から極にふれてしまうことのあやうさについて書かれてありましたね。バランスを保つことのなんと難しいこと。文明がものすごく発達してもだめ、大量死して原始的な生活に逆戻りしてもだめ、だめなのにそれを繰り返すしかないとしたらいったいどうしたらいいのでしょう。どうしたら真ん中に留まることができるのか。深くまで読み込んでいただき感謝です。
全体主義についてずっと考えていたのですが、独裁者が頂点にいるという点で全く水瓶座的世界ではないと思い直しました。それと同じく良き支配者が頂点にいたとしてもひとびとがただ考えもなく付き従うようでは全体主義と同じくくらいだめなことだとも思いました。だからと言ってひとびとが勝手にすれば混乱は必至なわけだし……というわけで、長きにわたって繰り返されてきた横線(ひとびとが地上でわらわらする)と縦線(上からの命に従う)以外の第3のやり方を考えていかないといけないのかも、と思った次第です。それがなんなのか全く想像もつかないのですが。
その、いままでと違った世界が見られる時代に生まれてこれたのかも、と改めて思いなんだかわくわくしてきました。物語から全く離れた感想ですみません。この物語を読んで未来に希望がでてきたなんて、アホなのかと思われてしまいそうですが……
よい物語をありがとうございました。
>独裁者が頂点にいるという点で全く水瓶座的世界ではないと思い直しました。
>良き支配者が頂点にいたとしてもひとびとがただ考えもなく付き従うようでは全体主義と同じくくらいだめ
私も全くその通りに思います。
関係ないかもしれませんが、諸葛亮を主人公としためずらしいフィクションで、『時の地平線』というマンガがあります。あれは一人の賢い指導者が、愚かな民を動かし世界をコントロールするというスタンスで描かれています。(念のため、私の小説はこのマンガを参考にしたものではありません。『時地』は『我傍』のかなり後、主人公の外見についてはむしろ逆かもと妄想しています)
三国志にしてはめずらしく(笑)高度な思想を織り込んだ素晴らしい創作なのですが、実際の社会であれではダメだと私は思いました。民が主でなければ。
と言っても、民だけに委ねてしまってはそれもまた混沌と暴走を招くだけ。
水瓶座としての理想世界は皆がフラットで横のつながりを持ち、全員で物事を決めていくことですね。
ただその場合、全員が「善良」で「友好的」であることが前提となります。
おそらく死後世界の、高等な魂同士だったらそれが可能なのでしょうが、残念ながら地上は善良な人ばかりではない。必ず欲得で他人に危害を加えようとする者、敵対しようとする者がいて扇動します。
私は上の小説でも民の混沌を書きましたが、現代社会はまさにそうなりかけています。
SNSで誰もが対等に意見し合うようになった結果、くだらないことで炎上が起き、ワイドショー的な興味本位で全員がハイエナのように誰かを餌食として貪り食うことに夢中。
いずれ残虐で無意味な戦争へ暴走することは火を見るより明らかです。
プラトン(ギリシャの哲学者)は民主主義を「愚民政治(衆愚政治)」と呼んで憎みました。現代社会のようになってしまうからです。
安易な民主主義はもしかしたら「最高の政治体制」とは言えないのかもしれません。
【関連記事】(ややこしいかも) プラトンの予言、民主主義の末路
実は、『我傍に立つ』を書いた時は一つ前の過去世そのままの気持ちで、古代東洋思想に拠って書いたのだと思います。
しかし『永遠の雨』シリーズの時には、もしかしたらプラトン由来の西洋思想に拠って書いたのかもしれません。
このため『我傍』は民主主義的、『永遠』はアンチ民主主義にも見えて、我ながら矛盾しているように思えます。
私自身が今この東西思想に引き裂かれて、どっちつかずになっていると言えるのでしょう。
今の私には「今後の社会をどうすべきか」という壮大なことは分かりません。分かったところで、私ごとき無名人にはどうしようもありませんが。
ただ願うことに罪はないのなら、
・良き指導者が
・道義心を持つ民の心に従い
・皆が仲良く穏やかに暮らしていくための社会を作る
という理想の実現を私は願います。
真の意味で「皆が主役」で、しかも「友好的」かつ、「人道」が叶っている状態が水瓶座らしい世界だと思いますね。
つまり難しい理屈ではなく、ただ、仲良く平和に暮らせたらいいのになと思うだけです。
もう本当に誰かが虐待されることに耐えられないし、これ以上の殺戮は見たくないというのが本音です。
それがこれほど地上で叶い難いなら、いっそのことリセットしてしまいますか? などと思ってしまうのが水瓶座の怖いところか。でもこう思うのはきっと、私だけではないのでしょう。
(リセットしてしまったら地上で真実が実現せず、B様の「わくわく」も叶わなくなってしまう。可能ならリセットなしで行って欲しいですね)
……と、ご感想のレスと言うよりはまた独白のような記事になってしまいました。すみません。
このたびは全巻読了とご感想、本当にありがとうございました。(十字の誤りについてもご指摘大感謝です! 現在、修正中です)
今後とも当サイトおよびブログを宜しくお願い致します。
何かお気付きの点があればぜひご指摘ください。
- 関連記事