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ポーランド戦に苦言。ギャンブルは「戦略」「戦術」ではない

サッカー日本代表、決勝トーナメント戦進出おめでとうございます。
久しぶりの快挙で私も嬉しい。
今大会の日本戦は一戦目、二戦目あたり、見ていて気持ちの良いサッカーで楽しかった。いつの間にか日本のサッカーはこんなに上達していたのかと思って感動を覚えました。これなら、もしかしたらベスト4も夢ではないかも……などと思っていたのですが。

昨夜のポーランド戦は、いただけない。
何だか日本の伝統的なサッカー(悪い意味での)を彷彿とさせる試合。
それは実は、昔からの日本の現実戦争における悪癖とも言えるのですが。

〔試合の流れ〕
・日本は力を温存してあまり積極的に攻めず、0対0のまま前半終了
・後半、やる気のあるポーランドに一点入れられる
・急に慌てだして攻撃に走り始める、いつも見るパターン
・その時、裏で行われていた試合の結果、日本は負けても決勝へ行ける可能性が出て来る(裏の試合がそのままの点数で、なおかつ日本がイエローカード等を受けなければ)
・この時点から日本は攻撃をやめ、パスを回すだけで試合放棄
・ブーイングが飛ぶなか試合終了。運良く裏の試合の点数も変わらなかったために、日本は決勝トーナメント進出

……非常にアンフェアで気分の悪い試合でした。
「日本はフェアプレーで勝ち上がれた」と言っている人たちもいますが、これは全くフェアとは言えない。
他のスポーツなら「試合放棄」でペナルティ失点もある行為。ところがサッカーではこれも戦術として認められており、特にルール違反というわけではありません。ただ、人としての道理でフェアかどうかといったら間違いなくアンフェアです。

一夜明けた日本では、
「戦略戦術の勝利!」
とこの采配をした監督へ絶賛の嵐

まじですか??
皆さんの戦術感覚、大丈夫か?

いっぽう世界の反応は当然ながら否定的なものが多いようです。私は下の意見に完全同意。
https://www.asahi.com/articles/ASL6Y231FL6YUHBI004.htmlより引用
 北アイルランド代表のマイケル・オニール監督は英BBCの番組で「指導者として、別の試合で何が起きるかに運命をそっくり預けるとはあぜんとする。日本が好きになっていたのに、正直、次戦ではボコボコにされてほしいと思う」と突き放した。
仰る通り。私もあぜんとしました。
 仏スポーツ紙「レキップ」(電子版)は、「後半30分まではさして面白くない試合に過ぎなかったが、残りの15分はあまりにみっともなかった」と酷評。「日本は決勝トーナメントに進めると考えて、10人でパス回しを始めた。結果、日本は予選を通過したが、栄誉は伴わなかった」と評した。
本当に、みっとなかったですね。
栄誉なんか得られるはずがない。
 60年ぶりにワールドカップ出場を逃したイタリアでは、コリエレ・デラ・セラ紙(電子版)が「フェアプレーの逆説」として、日本の決勝トーナメント進出での後味の悪さを伝えた。

 同紙は、コロンビアが得点したことで「すべてが変わった」と表現。日本は「失点を恐れ、延々とパス回しをして時間をつぶすことに決めた」と報じた。一方のポーランドにも「2点目を挙げる必要がなかった」と指摘。「先に進むためには免責されるのか……」と疑問を投げかけた。
免責ねえ。
これ、皆さん実際に勝てたという結果しか見ずに称賛しているけど、実際は勝利ではないからね。
運が良かっただけ。

要するに、ギャンブルでしかないです。
戦略シミュレーションで考えた場合には、これは「敗北」という結果に等しくなるでしょう。

*

一見、アンフェアさを「我慢して行うこと」が大人の選択であり、攻めずに守備に徹することが「戦術上の賢さ」であるかのように見えるかもしれない。
そういう戦術手法は確かにあります。
(私もたぶん性格的に守備タイプだから、守りに走ることを否定するわけではありません)

皆さんは、この表面的な形式のみを見て
「戦術っぽい」
「賢いっぽい」
と思うのだろうな。

でも形式で戦略戦術を語るのは間違っています。
何でもそうですが、本質・実態を見なければ激しく間違えます。

守備防衛に徹することができるのは、確実に防衛できると保証されている場合のみ
これは今回の試合で言えば、「ポーランドに敗北しても決勝へ進出できるという保証がある」という状況を指します。
この場合、アンフェアではありますが、防衛に徹することも戦術の一つと考えられるでしょう。
スポーツでは「試合放棄」するチームなど参加資格すらないと言えますが、それがたとえば人の命がかかった戦争という状況ならば、防衛可能であれば防衛に徹することこそ正道になります。

しかし、昨夜の状況ではまだ、他の試合の結果次第では敗北する可能性があった。
このような状況下で、他人が得点しないことに賭けて守備に回るなど、愚劣なギャンブルに過ぎません。
もし人の命がかかった戦争で指揮者がこういうギャンブルを選択をしたなら、戦争犯罪者として責任を問うて良い。そのレベルの悪質な判断だと思います。

現実の戦争では、確実ではない条件に賭けて選択される戦略戦術などあり得ません。
どこの国でも、まともな国ならば、「確実な勝利が得られる」または「確実に国を守護できる」という戦略を選択するものです。
それが見た目には「防衛に徹する」「リスクを採らない」「及び腰」に見える時もあるでしょう。
または一見、無謀な攻撃に見えることもあるでしょう。
しかしそういった形式など関係ないのです。
どちらの場合も要するに確実なものを選んでいるというだけのこと。その本質において同じ。

つまり一文で述べるなら、
戦略戦術は、確実な道を選ぶことである
と言ってもいいんじゃないでしょうか。
(補足:確実な道を選ぶ=「人事を尽くす」ということ。運を天に任せる前に、できる限りのことはやる・可能な道を考え尽くすの意味)

おそらく日本人は代々、この「戦略」「戦術」の本質を理解していないのだと思います。
それで見た目ばかりにこだわり、
「防衛に徹するのがいい」だとか
「攻撃は最大の防御なりだから攻撃しないことは悪」
だという形式上の話ばかりしている。
そんな形式ではなく、そろそろ本質の戦略で語らないといけないのではないかと思いますね。

皆さん形式しか見ないからギャンブルと戦略の区別すらつかない。
その悪い癖の見本が、先の大戦の大敗北なのですが。
現実の戦争はともかくとして、全てにおいてこういう「形式しか見ない」ことでの誤りが見えるから、日本はいつも危ういのだと思います。


昨夜たまたま運良く切り抜けることができたからといって、このような危険なギャンブルを賞賛すべきではありません。
賞賛すれば、監督は得意になってまた次も同じことをやるでしょう。
それが日本のサッカーの伝統になってしまう。
そしてサッカーだけではなく日本全体の伝統となって深く浸透する。
するといずれ、現実の戦争であっても同じことをやる人が出てくるはず。そうなればまた大勢の人が死にます。
だから「たかがサッカーに目くじら立てて」と嗤われても、こんな行為を賞賛してはいけないと私は思うわけです。

*

具体的な話。
昨日の試合はどうすれば良かったのかと言うと、そもそも最初から攻撃的に点を取りに行くべきだったのではないでしょうか。
前半で点を取っていれば、後でイエローカードのことを考えて姑息なギャンブルに走る必要もありませんでした。
そもそもまだ時間が残っていたとは言え、イエローカードを気にしなければならないほどギリギリである段階で本質的には「負け」です。
そこまで追いつめられている自分たちが悪いのだから、もうペナルティ覚悟で最後まで点を取りに行くべきだったと思います。
同じギャンブルをやるなら、世界から称賛されるプレーに賭けるべきだったかと。

皆さん道理を無視することが「賢い策略」と思っているようだけど、それは間違い。
世界の真実は
 道理 = 合理
です。
総合的で最終的な勝利というものは、道理(本当のフェアプレー)がなければ得られません。
戦争なら、実際に道理が数字的な力ともなり得ます。だから道理をおろそかにすべきではないのです。


……と、
うっかり素人なのに熱く語ってしまいました。笑

素人が偉そうに、すみません。





追記

その後のニュース番組を眺めていて唖然としたこと。

今回の件でイギリスのあるメディアが日本を批判していることにつき、某ニュースコメンテーターK氏が
「人種差別の意識で叩いているだけだ」
と仰っていた。
他の番組では「日本が叩かれるということは、それだけ成長したこと! 喜ぶべき」と言うコメンテーターも。

もう……呆れて開いた口が塞がらない。
ダメだなこれは。
批判されている理由さえ分からないほど道義心・道徳心がないのか。

人種差別? サッカーに関してはそんなことないでしょう。海外メディアは日本のサッカー技術が向上したことや、ゴミ拾いしているサポーターたちを賞賛していた。今回は、そんな日本がアンフェアなことをしたので批判している。完全に公平だと思う。
上で引用した通りマイケル・オニール監督も「日本が好きになっていたのに、(今回の試合を見て幻滅して)次戦ではボコボコにされてほしいと思う」と言っている。人種差別などなく、ただただ正当な人間としての評価だ。

今回世間の反応を眺めていて呆れたのは、皆さん本当に
「結果オーライ」
なだけだということ。
誰一人IFを考えていない。
(IFを考えるのが戦略なんだよ。戦略家は常にIFを考え尽くす)
今回もし、セネガルが得点していたらどうなっていたか? 日本国民全員で監督・選手を叩いて吊るし上げるだろうね。鬼のように。
反撃することなく終わった選手たち自身、裏で自分たちの運命が変わったことを知った時に激しく後悔し、監督を憎むのでは。そして自分を責めて悪夢を見続けるだろう。
自殺者が出てもおかしくない対応だった。
それなのに全員が笑顔で、「勝ったから結果オーライ」と上機嫌で話すのはおかしい。

結果オーライというのは、「戦略がない」ということ。
それこそ、「行き当たりばったり」と呼ぶ。

あまりにもこの人たちは本質を見ていない。
もし本当に戦争になったら、こういう感覚で戦場へ若者を送り出すのだろうね。
戦争の時の日本を眺めている錯覚を覚え、恐怖で身震いした。

>>続きの話。サッカーW杯 他国の見事な戦略 VS 戦略と道義なき日本



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