『鬼滅の刃』感想、思いがけず善逸に共鳴し癒された

2020年10月25日

映画公式サイトより引用

現実でもエンターテイメントでも中華ばかりに触れてきたこの一年、そろそろ“中華酔い”を起こしつつあります。それで、現実逃避にて大流行アニメ『鬼滅の刃』を観たら思いがけず癒されたという話。

城攻めシーンで“中華酔い”発症

もともと私は中華ジャンルの創作が苦手なので避けてきた者です。しかしそうも言っていられなくなった昨今、勉強のためにと思って、現実ニュースとともに創作でも※なるべく中華に触れるようにしてきました。

※現在の外国人(民間)の思想を体感するためには、その国のお茶の間で人気のドラマや一般で流行している小説を味わうのが有効です。政府広報の発表は嘘まみれだし、SNSも工作員が前面に出ていて歪んでいるからです。現実に民間で人気の創作が、最も正しくその国の多数派の心を表していると言えます

『琅琊榜』は俄か華流の上司に奨められて見始めたのですが、「天道」のセリフが吐かれた辺りから完全に中毒しまして、欠かさず観ています。

でも先日この『琅琊榜』で城攻めの軍事シーンがありまして――

ずっと宮廷・都の中だけの謀略ドラマだと思っていた私は、まさかの軍事シーンが不意打ちで少々拒絶反応を起こしてしまいました。

幸い吐き気を覚えるまでは至りませんでしたが、無意識に体が強張っていたのかエンディングが流れる頃にはぐったり全身が疲労して心のエネルギーも消耗していました。

『三国志』など、そのものズバリの時代を描いた作品は心の準備があれば平然と観ることができるのですが(でもなるべく観たくないので観ないのだけど)、宮廷ドラマだと思っていたのにいきなりの軍事シーンには参りました。反則です。

まったく『琅琊榜』の監督さんは何のドラマを創りたかったのか? 中華民へおなじみの『三国志』パロディで軍事シーンも仕込みたかったのか。それとも国民リクエスト?

『琅琊榜』の監督さんはどうやら日本マニアであるらしく、ドラマ内の随所に日本的な物や雰囲気が散りばめられています。軍事シーンでも始めは日本の兜を被った侍(笑)が出て来て笑っていたのですが、やはり大がかりな道具を駆使した戦法になると日本の雰囲気は掻き消されTHE中華です。

この映像によってついに、“中華酔い”を起こしてしまいました。

考えてみれば一年ほど中華にどっぷり。トラウマを抑え、我ながらよく耐えたものです。

しばし中華の世界観から目を逸らそうと思い、ちょうどGyaoで一話から配信が始まっていた『鬼滅の刃』を観ることにしました。

古代中華と大正時代の日本。着物と刀と戦闘……ほとんど世界観変わっていないじゃん!! と思われるでしょうが(笑)、やはり和は和なのです。

大人でも愉しめる、『鬼滅の刃』

久しぶりに和へ還り――還り? ん、逆か?――素直に愉しむことができています。今の自分が子供の頃から馴染んだ、典型的なジャパニーズ・アニメだったというところも大事でしょうか。

『鬼滅の刃』は、言わずと知れた社会現象を起こしたコミックです。

『少年ジャンプ』連載のため子供向けと思われ、大人の方は食わず嫌いで避けているかもしれませんが、お奨めです。

いやむしろ、大人のほうが熱烈にはまるでしょう。(40代以下のアニメ好きなら)

今のアニメは昔ながらの王道ストーリーを踏まえつつ、話も技術も高度になって素晴らしいと思います。特に『鬼滅』アニメ第一話の冒頭はシリアスで、実写映画に匹敵する描写。あの場面展開そのままを実写映画にしても自然。作品全体的に言っても挿入されている音楽といい、台詞や場面展開といい、非常に芸術性が高く感動しました。

残酷表現があまりにもリアルなため、何故R指定ではないのか、これを15歳以下の子供が観ていいのか……等々の批判が噴出するのはごもっともだと思います。私だって子供がいたらあまり積極的に観せたくないと思ってしまう。

ただ殺戮を肯定的に描いていない点、敵である鬼にすら情を抱かせる表現、何よりも家族の絆と愛情が中心テーマであるところが良質な作品と思います。子供が観てもきっと大丈夫、悪い子には育たない。むしろ人間的な深い心を養うでしょう。

日本の古き善き文化を大切に描いているところも、とても良いです。たとえばアニメのタイトルシーンで、毎回必ず違う丁寧な和柄が背景に使われている。そのような細かさにも感動を覚えました。

さらに言えば、正義・正論否定(善悪反転)をしていないところも良い。

主人公・炭治郎はかつて人間だった鬼たちに同情を抱くも、「正義なんて存在しない」「何が善悪か分からない」などと非人間な気持ちの悪いごたくを並べ、家族愛や鬼退治のことを「偽善」と呼んで否定することはしません。妹だけを救おうとする行為を「エゴ」などとも呼ばない。家族さえ守れない者が人類を救えるわけがない、ということを分かって現実と向き合っている。

とにかく目の前の鬼と真剣に向き合って戦う、真っ直ぐに家族への愛を貫き守ろうとする。ただそれだけ。そのシンプルさこそ、「義」というものであり人間本来のあるべき姿です。

これはかつての日本人の多くが持っていた美徳ですし、今も中華の一般民が本能に秘めている人道です。

日本コミックが外国政治に侵され腐りつつある昨今、久々に清々しい王道作品に触れて嬉しく思いました。

下記事資料で分かるように金のため悪魔に精神を売り渡した漫画出版界ですが、『少年ジャンプ』だけはまだかろうじて抵抗している、という話は本当だったようです。

関連する話(別館)

そしてこの人間としての根本的な美徳を描いた作品が、現代日本で圧倒的な人気となり社会現象まで巻き起こした事実に感動を覚えます。

政治に飼われたマスメディア主導でブームを偽装している作品(上リンク先参照。映画館は閑古鳥なのに何故か「大ヒット」と報道される)などとは大きな違いです。

この通り『鬼滅の刃』が流行した日本は棄てたものではないなと思いました。

さらに言えば、このアニメが日本だけではなく中華圏など東アジアでも大ブームを巻き起こしているという話も嬉しいです。東アジアの人々は全く変わっていない、悪魔が脅して善悪を反転させようとしても、根底の人間思想は侵されていないのだと知って嬉しい。

残念ながら『鬼滅』は政治工作員たちの激しいバッシングを受けました。人気絶頂であるのに連載終了したのはそのせいかもしれません。

政治によって純粋な創作作品が踏みにじられ、捻じ曲げられていく今の状況は悲し過ぎます。それだけではなく、このままでは現実に恐ろしいディストピアが完成し皆の命が脅かされます。

人類の誠実を守るため、そして家族を鬼から守るため、最大の免疫となるのは『鬼滅の刃』のような芸術作品です。

このような大げさな話が嫌いな人は、ただ自分の人間性にかなう作品を愛すればいいと思います。

ぜひ純粋なものを愉しんでください。

純粋さを判断する根本の人間性すら失って、「正義なんか存在しない」「善悪なんて分からない」と唱え始めたら、自分が鬼に変わり始めているのだと気付くべきです。家族を喰い殺す前にぜひ治療してください、もしまだこの言葉が届くなら。

追記

恐怖支配の魔王が救われるのは遠い未来

立ち過ぎキャラクター群、コミカル設定を嫌う人も多い

ところで『鬼滅の刃』にはコミカルな設定もありまして、性格に難がある“立ち過ぎている”キャラクターたちが魅力でもあります。

いっぽうで、「こういう安い設定は嫌だ」と怒る人もいるのが現実。

冒頭のシリアスな描写から一転、キャラクターの顔を崩したり三頭身で描いたりと、いきなりオタク系ギャグ漫画に変化する落差は確かに『鬼滅』の難点。ギャグ部分が「生理的に無理」と言う人も多いようです。何よりキャラクターのミニサイズ化は許せない人が多いかな。(若い頃にオタク文化へ触れて来なかった大人の方は)

もし冒頭のシリアスのまま行けば、『鬼滅の刃』は純文学のように歴史に輝く芸術作品として扱われるようになったでしょう。

でも、あくまでも『少年ジャンプ』ですからね。子供たちが楽しめるようなギャグ設定、欠点もある濃いキャラクターは無くてはならないもの。

主人公が修行して次第に強くなっていく展開なども、『ジャンプ』らしいお約束に従った設定で懐かしく感じます。これが行き過ぎてワンパターン化(強い敵を倒したらすぐ新たな敵が登場。死んだ仲間も生き返る、等)すると、さすがに付き合いきれませんが。

この『鬼滅』に登場する欠点あるキャラクターたちに感情移入し、自己投影する子供たちは多いでしょう。そんなところも良質な作品だなと思います。

また中華に戻って申し訳ないけど、『三国志』や『水滸伝』などの登場人物には全員どこか欠点があって歪んでいます。そんな欠点ある立ち過ぎキャラたちが集まり、義のために手を取り合って頑張る。これこそ『三国志』等が千年以上も人々を惹きつけている所以かと。(『三国志』について言えば、創作ではなく史実人物のほうが欠点多いという驚異的事実があります、笑。だから長く伝えられたのでは?と思っています)

『鬼滅』はそんな古典の王道セオリーを踏襲しています。

たとえば、主人公・炭治郎は「長男だから何事も我慢する」と言う完璧な人格者。しかし周りには、べらぼうに強いが一癖も二癖もある仲間たちがいて炭治郎を悩ませます。そんな炭治郎にも英雄らしい「キラキラ過ぎる」という欠点があります。……なんだか『三国志』演義フィクションの劉備たちもこんな感じだったような。王道なのですねえ、つくづく。

ここまで濃いキャラクターがたくさん出てくれば、子供たちは誰かしらに感情移入して成長の糧とするでしょう。

子供だけではなく、大人たちも感情移入できる部分は多いはずです。もし感受性を失っていないならば。

個人的には善逸がヒットしました

私も、恥ずかしながら『鬼滅』に感情移入できるキャラを見つけました……。我妻善逸くんです。

おれは、おれが一番自分のこと好きじゃない

ちゃんとやらなきゃっていつも思うのに

おびえるし 逃げるし 泣きますし

…変わりたい ちゃんとした人間になりたい

>おびえるし 逃げるし 泣きますし

笑。まさに私ではないですか?

さすがに私は怠惰で借金を負ったり、ストーカーになったりはしませんが(笑)、いつも「死ぬ死ぬ」言って震えてしまうところ自分を観ているようだと思いました。家族や周りの人には迷惑かけています… うるさくてごめんね。

しかし善逸というキャラクターの面白さは、いざとなると凄いことです。そして本人はその能力に微塵も気付いていないという。

私には残念ながらあのような才能は無いから、いざという場面でも能力発揮できず死ぬパターンですが……と考えてしまうところがまた善逸と同じだったりするのでしょうか?苦笑

善逸の能力を見抜いていた師匠のじいちゃんが、逃げようとする善逸に落とし穴を仕掛けたりして引き留め続ける場面に笑っていましたが、頭の隅ではかつて大人たちが自分に浴びせた言葉を思い出していました。

たとえば前々世ですが、善逸にとってのじいちゃんに相当する私の“先生”の台詞。絶対に妄想でしかないと思っていた。しかし現世でも若い頃、学校の教師や大人たちが寄ってたかって「自覚しろ」と言いましたっけ。さらに付け加えれば、生者だけではなく死者オーディエンスまでもが自覚を迫る。

彼らが言う通りもし自分に能力があったのなら、一切信じず逃げ回り、棄ててしまったことを申し訳なく思います。

情けないけどこの年になっても未だに自覚はありません。お勉強が少しできる、というくらいの自覚はあるのですが、そんな程度でいったい何ができるんだ… と抗議したい思い。

善逸のように恐怖で追い込まれたら、意識を失って能力発揮できるのでしょうか?笑 もしそうだとしても、その時は生きるか死ぬかイチかバチかの賭けですね。目覚めなければ殺されるしかないのだし。

“泣いてもいい。逃げてもいい。ただ、諦めるな! 信じるんだ”

このたび得た善逸じーちゃんの言葉をメッセージとして胸に刻み進んでいきましょう。

諦めかけていた大人の私にも勇気をくれた。善い日本漫画に感謝。