伊藤ちゃん逮捕に思う。過ちで一発アウト…有名人のリスクが重過ぎないか

少々重い世間話を書きます。苦手な方は読まないでください。

伊藤ちゃん逮捕の衝撃

俳優、伊藤健太郎氏の違法運転・逮捕に衝撃を受けています。

「伊藤ちゃん……なんてことだ……」

思わず声に出して呟いてしまいました。

我々世代には『今日俺』伊藤ちゃんの役名そのままで呼ぶことができ、親しみがあった彼。バラエティに出れば発言が自由で、久々に面白い俳優が出てきたなと思っていました。

それなのに交通事故、しかも逮捕とは。ショックで残念です。

 

吊るし上げし合いの地獄社会

案の定。昨日はワイドショーから夜の報道、ネットニュースまで徹底して彼の吊るし上げばかりで埋め尽くされており、「またか……」と思って絶望を覚えています。

テレビの主な視聴者である年配者など知るはずもない、駆け出しの新人俳優なのにですよ。年配層が知らない俳優について報道して何の得があるのだろう?

芸能人たちを売り出すための良いニュースはほとんど取り上げないのに、何かスキャンダルがあったときだけ嬉しそうに朝から晩まで吊るし上げを楽しんでいる。

ここはブンカク時代のC国か? ソーカツ訓練場としてのホームルームを成人後も続けているのか?

相変わらず吊るし上げの悦楽を忘れられないあの者たちの餌食となる芸能人が、今日もまた一人増えた。そう考えて暗澹たる気持ちになります。

 

罪の重さに対する罰の程度があまりにもアンバランス

交通事故を起こし、逃げた人は確かに悪いでしょう。そこを擁護する気持ちは微塵もありません。

しかし、一方的な恋慕によって何もしていない若い女子を何度も刺したストーカーや、娘を犯し心を殺したのに無罪放免の鬼畜父親、丸腰のデモ隊を殺戮し続けている某国政府……等々批判すべき事件は山ほどあるのにそういった本物の凶悪犯たちの行いは一切報道しない。

いっぽう自ら進んで殺人を犯したわけでもない芸能人のミスは徹底的に吊るし上げ、社会的に完全に抹殺する。そして生涯かけても払いきれない損害賠償を負わせる。

あまりにも不公平ではありませんか?

犯した罪の重さと罰とのバランスが、とてつもなく崩れていませんか?

まるで悪魔がお仲間同士、鬼畜な殺人を犯した者はかばい合い、その他の人の小さなミスをあげつらって吊るし上げ喜んでいる悪魔のための社会です。現実そうなっているのだろうけど。

現代有名人のリスクは人類史上最高

こんな世の中で現代の有名人たちが負っているリスクは人類史上最高と思います。

SNSをすれば何ということもない呟きで大炎上し、まるで民衆虐殺を行った凶悪犯のように誹謗中傷を浴びる。(そのわり誹謗中傷している人たちは悪魔仲間である本物の虐殺王はスルー、または称賛している。あの鬼畜本性を眺めても腹が立つ)

街中を歩けば勝手に写真を撮られ、行動観察されて生きた心地もない。プライベートはメディアの金儲けのために消費されている。

彼ら有名人が普通に生きることはほとんど不可能な世の中と思います。

そのように人権がゼロないっぽうで、負っているリスクはとてつもないもの。

たとえば交通事故だったら、人身事故でも一般の人は保険で損害賠償をまかなうことができます。しかし芸能人たちは僅かな事故でも番組や映画などが飛び、莫大な損害賠償を負わねばならない。

リスク回避のため運転などすべきではないだろうに。SNSもやっては駄目だ、と私は思うのですが、それはそれでまた人権侵害となるでしょうか。運転の自由もSNS発言の自由もあるのだと考えれば、やはり罪にそぐわない過剰な社会制裁を与える世間の方が悪いということになるでしょう。言っても合理的な罪の評価など世間に求めることは不可能なのだから、この不公平は永久に改善されないのでしょうが。

それは自殺したくもなるよ……と思って同情してしまうのは、私だけでしょうか?

死ぬことでしか解放されないという重苦しさが私には分かるせいなのかもしれません。

 

知っている存在が消えるだけでも絶望感が募る

こんな不当なリスクを負う人々が現代に存在するという事実だけでも、私は絶望感を覚えます。

それに加えて、眺める側としても知った顔が表舞台から次々と消えていくことに精神的ダメージを受けています。

 

最近、表舞台からいなくなってしまう芸能人が増えましたね。スキャンダルだけではなく自殺や病死などで、この世から去ってしまわれるケースも重なりました。

このようなことが続くと関係ないとは思っていても、無意識にダメージが圧し掛かり絶望感が募るものです。

 

遠い他人である芸能人、友人でもないのに我ながら不思議ですが……。

私は、幼い頃から芸能人にほとんど興味がありませんでした。そもそも有名人というものに興味がなく、大人気のアイドルの名すらほとんど知らずに友達から嘲笑され軽蔑されたものでした。だから歴史人物などに興味を抱いたこともなかったわけです。

17歳時の例の事件がなければ私は未だに歴史人物に一切関心を抱いていません。今も自分に関係すると思えばこそ眺め言及する気になっているだけで、歴史人物そのものに興味があるかと言えば疑問です。

 

そんな私ですら今この芸能人たちが次々と世間から消えていく状況は辛い。

それを考えればファンの方々はどれほどお辛いでしょうか。想像し胸が痛みます。

 

存在するだけで希望の光となる

このようなことが重なった昨今。

何気なく見ている芸能人でも、同時代に存在しているだけで「希望」となっているのだということに気付かされています。

ファンならなおさら。自分が推している芸能人がたいして活躍しなくとも、何かしら発信し続けてくれるだけで希望と思って眺めている人が必ずいるはず。

 

おこがましいですが、無名人の私でもきっとそのような方がいるでしょう。

たとえ連絡はくださらなくとも、何年も通ってくださっている方々がいるということを私は知っています。

もちろん身近な家族も私が存在することを求めてくれている。

自分を大切に思ってくれる人がいる、そのことを決して忘れてはいけないのだと思いました。

だから今日を大切に、今この瞬間を大切に。私は自分ではなく誰かのために可能な限り存在を続けていこうと思っています。

(長年リスクを避けてきたのはそのためです。最近は禁忌を破ってリスクへまっしぐら駆け出しているように見えているでしょうが、これでもちゃんと防衛張っています)

 

自分に攻撃的な人のほうではなく、物言わぬ支援者たちのほうを向くこと。結果が出ないからと卑屈にならず誰かのために存在を続けること。

これが大事だなと思います。

 

今、人類史上最高度のリスクを負うことに辛さを覚えている芸能人の皆さんも、どうかファンのほうだけに向いて欲しいです。

そうすることできっと自殺など考えなくなるし、乱暴な運転をしないようになるなど、もっと自分を大切にできるのではないでしょうか?

世間が変わるのは難しいけど、自分の方針を変えて人生を守ることならできるでしょう。