マスターナンバー33とは “役に立たないと生きている心地がしない”

 


マスターナンバー33について解説、考察した記事です。
二つの記事をまとめました。

〔メイン〕
マスターナンバーとは
最近注目され始めた「33」
役に立てないと生きている心地がしない

〔続き。自己犠牲しやすい33の方へ。滅私奉公とは何か〕
33は菩薩にならなければいけない?
特別な人間と思い込み過ぎないこと
33の人へメッセージ

★最近「マスターナンバー33 + サイコパス」でここを訪れる人が増えました。占い分類や性格診断分類に「サイコパス」のレッテルを貼ることが流行っているようです。残念なこと。少なくとも筆者はサイコパスではないとの診断結果が出ていますのでご安心を(笑)。サイコパスは脳障碍であり、占いや性格診断とは無関係です。⇒サイコパスについて正しい知識を得ましょう。


マスターナンバーとは


「マスターナンバー」という言葉をご存知でしょうか。

私もつい先日、ある方に教わって知ったのですが、カバラ数秘術のなかでも特殊なエネルギーを持つ数字のことだそうです。

『カバラ数秘術』とは、生年月日の数字を足して表れる数字で性格や運勢を読み解く占術のこと。
数秘術は私もかなり昔に少し勉強したことはありましたが、自分の数が
「6」
であり、これは
「事なかれ主義で温和な家族を大切にする人」
とのことでしたので、全く当たっていないなと感じて離れてしまったものです。
(私はとてもではないが家族を大切にする温和な人間とは言えません。お世辞でもそう言ってくれる人はいない)

あれから20年。
時代は変わったもので、今は『カバラ数秘術』も進化していて新しい解釈が生まれているようですね。
生まれている、と言うより、発掘された・もしくは秘められていたものが一般公開され始めたと言えるのかもしれません。

この新しい解釈とは、数のなかには二つの数が重なって出来ているものがある、という考え。

たとえば「1」+「1」で「2」など。

通常のカバラ占術では「2」で解釈されますが、高次元となったときには「1・1」という二つの数の重なりによる、高いエネルギーを持つ数字として解釈されるそうです。
その高次元のエネルギーを解放出来る人は少ないものの、可能性としては秘めているらしい。

それで、最も有名なマスターナンバーは
「1・1」
もしくは
「2・2」
で、占いサイトのなかにはこの二種類だけを「マスターナンバー」と定義するところもあります。


3・3の解釈引用


ところが最近になってマスターナンバーに加えられ注目され始めたのが
「3・3」
だそうです。
つまり、通常のカバラで言うところの「6」ですね。

どうやらこの「3・3」、高次元エネルギーを発揮するのは「1・1」や「2・2」より難しいらしく、そのためデータが少ないのだそうです。
だから通常は「6」で解釈したほうが当たるらしい。

ただもし、「6」で腑に落ちない、なんとなく当たっていないと感じられる人がいたら、もしかしたら「3・3」で解釈すると腑に落ちるかもしれません。
※最後の計算が3+3で6になる人のみ

私も3+3で6なのですが、今までは6の解釈を見て当たらないなと思ってきました。
そこで「3・3」の解釈を見たところ、確かに腑に落ちて驚きました。
自分の結果として引用しておきます。

ワケわからん… 理解不能な飛んでるあなたは『人類の愛の奉仕者』

「エンジェルナンバー33」のあなたは、
「人類の透明な奉仕者」。

生まれる前に自ら誓った大切なことを思い出せば、
意識と愛が宇宙に広がり、菩薩のような、
見返りを一切期待しない「無償の愛」を出すことができる人です。
周囲の人を大きく包み込む愛を表現できる、祈りの人。
「人類の平和」イコール「自分の幸せ」とまで想え、そのために奉仕し続けられます。
多くの人の人生に多大な影響を与え、
その生き方が人生のお手本になるような、スケールの大きな愛の人です。

幼い頃から、神秘的な能力に目覚め、
「目に見えない世界」のことを当たり前のように受け容れることのできる、
大きな包容力が備わっています。
その能力をどのようなカタチで活かしていくのかが、
人生最大のテーマになります。

【「誕生日占い」より引用。http://www.jba-net.com/】

 

まあ何か良いことばかり書かれているようですが、他のサイトで言われていることも含めて「33」を簡単にまとめると、
「変人」に「大」が付く
スペシャルな「大変人」らしいです。

「6」の解釈より遥かに当たっていると思います。

不思議と、『壁宿』の解釈とも合致していることにお気づきでしょうか。
(私は宿曜占星術において、壁宿です。これは奉仕の宿なのですが、同時に変人でもあります)

あと同じ「33」を持つ有名人のなかに、アインシュタイン様がいらっしゃいました。
あちら様のほうが遥か遥かに高次元で、私ごときは「天才」という33の共通項にはかすりもしないのですが(涙)、「変人」という部分では遠いところでなんとなくシンパシィ感じていましたよ。

(ところで、同じ数に「えなりかずき」さんもいるようです。彼は家庭的な感じだから6が当たっているかな。しかしあんなに常識人の彼もいつかこの変態 変人ワールドの仲間入りをするのでしょうか、笑)


なんだか初めて、『数秘術』に納得して興味を持てました。
教えてくださって感謝です。

かつて試してみて「当たらないな。価値ないな」と思った占いも、こうして進化することもあるので忘れた頃に調べてみると面白いかもしれませんね。


役に立てないと生きている心地がしない


マスターナンバー33の人の弱点は、「他者の役に立てているという実感」がないと生きている心地がしないことだそうです。
私もまさにその通りの人間です。

だから逆に言えば、人から求められない・役に立っていないと感じると死にたくすらなってしまうのです。

33に関する、«自分を、他者という「鏡」に映して確認している» という指摘はその通りと思います。

このような性格は非常に危険なもので、依存症にもつながると現代では考えられているでしょう。
私自身、そんな自分の欠点を心得ていましたから、一時期は
「他人から求められる自分」
を潰そうという荒療治に出ました。

無能で役に立たない自分、
誰にも求められない自分、というものを創り出したのです。

しかしその結果としてこの人生では非常に苦しむことになりました。

苦しい、と言うより申し訳ない想いでいっぱいとなったと言ったほうが正しいか。

せっかくお役に立てたはずの能力を自ら潰してしまったとは、なんて罪深いことをしてしまったんだと自分を責める日々が続きました。
天罰が下るだろうと思っていたものです。

しかし下のサイト様からメッセージを頂いた気がします。
それもこれも、全て自分で求めて受けた試練だったのかもしれないと。

以前あったサイト様より、「33」へのメッセージ引用


人はみな自分を、他者という「鏡」に映して確認している
自分が求められていないと知った時とは
すなはち自分の姿を確認する鏡を失ってしまった時なのだ

その人は、自分の姿を見失って途方にくれるだろう
その人の学びは、
自分の姿は他者ではなく
自身の深いレベルにある「意識」に映しだされることに気づかなくてはならない

それを実現した時
その人は、本当にマスターナンバー【33】のエネルギーを
生きていることになる


 

涙が出て心がほぐれました。

今また、人様のお役に立つという方向に動いている自分がいます。
あまりこれが行き過ぎるとまた、良くない結果となりそうです。

人のお役に立てなかったとしても自分は自分であること。
自身の鏡に映さなければならないこと。
忘れず生きていかねばと思います。

この占い情報を教えてくださった方に感謝。出会いと学びに感謝です。


★↓統合した続きの記事 『滅私奉公とは何か』

33は菩薩にならなければいけない?


ご紹介いただいた数秘術の先生のブログを読んでいましたら、
「自分はマスターナンバーの33なのだから菩薩にならなければ」
と思い込むあまり、菩薩を目指して自己犠牲を行い、尽くし過ぎて適応障害という心の病に至ったことがあるらしい。
(ご病気後は33の解釈を変えて救われたとか)

『数秘術 ライフパス33"神話"の誤解』
http://ameblo.jp/heals01358/entry-11779788995.html ※リンク切れ

占いをきっかけとしてこのように思い込み過ぎてしまい、結果的に心の病になってしまうこともあるとしたら、占いは有害となりますよね。

私は個人的に、33の人は占いなど知らなくてもそのような「自己犠牲」→「無理をして潰れる」という負のスパイラルに陥りやすいのではと思っています。

ただもしそのような性質を後押しする言葉として、「33神話=33の人は菩薩である」という解釈があるとしたら危険なので、思い込み過ぎないよう気を付けるべきでしょう。


特別な人間と思い込み過ぎないこと


あまり、「自分は特別な人間」などと思い込み過ぎても人生疲れるではないですか。

そもそも「自分は他人とは違う特別な人間である」と、何ら現実的な理由なく思い込むのは精神病の一種です。
現実に理由あって、「こういう部分について自分は特殊だ」と客観的に理解するのは正しい自己認識ですが。

……ここ強調しておきます。
「特殊さの認識」と「特別意識」は違いますよ

たとえば何か病気になったとき、「自分は他の健康な人とは違う体なのだ」と理解する。そして健康な人と同じような行動はしない。その病気なりの行動をとるよう心がける。これが、「自分は特殊だ」という正しい認識のしかたです。
そうではなく、何ら客観的な理由もなしに「自分は特別な能力を持つ人間だ」と、優位意識を持つ。これがちょっと壊れてしまった心による、特別意識です。

マスターナンバーの解釈には、前記事に引用したような


このゾロ目の数字はマスターナンバーといって、
非常に珍しくて、
人智を超えた能力を持ち、
まさに神に近い存在とされている。

こういう刺激的なことを言う人がいるので勘違いしやすく、「ちょっと壊れてしまった心による特別意識」に陥る人が出て来るかもしれない。
それだけではなく、マスターナンバーを崇めたりする人も出るかもしれませんね。
嫉妬から敵対心を持つ人も多いでしょう。
だから、テレビなどでああいう安易な解釈を流すのは危険だ、ヤメロと私は言うのです。

確かに、マスターナンバーを持つ人は数は少ない。
しかしだからと言って優れているわけではない。

魂の輪廻の回数が多くて経験値が高い、ということはたぶんあります。
つまり、「特殊」というのは客観的に正しい認識だということです。
ただその特殊性は「優位」なのではなくて、単に魂が年を取っているだけです。

全ての魂は同列で、平等です。
いずれ全ての魂が卒業し、先輩となり、後輩を指導するようになる。
それは時の流れとして今どの時点にいるか、ということに過ぎず、優劣などないんです。

年寄り嗤うな、往く道じゃ。 子供叱るな、来た道じゃ。
って言葉を知らないかな?
マスターナンバー等を特別と思ってしまいがちな人は、この言葉を胸で何度も繰り返すべきです。



メッセージ


最後に、33の人へメッセージ。

上の記事で先生も仰っている通り、同じ「33」でも色々なレベルの人がいると思います。
なかには奉仕ということに慣れていないので、間違った自己犠牲に陥る人がいる。
慣れない人はブレーキをかけることが出来ないのだろうと想像します。そんな時は本当に心身を壊してしまうでしょう。


私は早いうちからそんな自分の性質に気付いていて、奉仕にブレーキをかける癖がついています。
これはおそらく前世の経験がある故です。

私の場合、これと決めた相手や目的のためなら、死んでも構わないと思うんですよ。
前世でそうなったときは、自分は幸福な人間だと心の底から思いました。命を差し出して惜しくない人々のために死んだ。自分にとって、それ以上に幸福なことはないんです。

ただ尽くすのは、相手によります。笑

実は私は普通の人よりも好き嫌いが激しいほうで、嫌いな相手には指一本動かしたくないと思います。
だから相手によって態度が極端になります。嫌いな相手はバッサリ縁を断つ(そして周囲が恐怖におののく)。
そのため私に対して「優しい人」と言う人がいるいっぽうで、「サイテー」「心底怖い」と言う人もいる。
そういうところが「悪魔的」と言われるのかもしれないが、むしろそれが「33らしさ」なのではないでしょうか?


ここで用語のご紹介。

「滅私奉公(めっしぼうこう)」という言葉をご存じでしょうか。
この言葉は一人歩きしていて正しく理解されていないと私は思います。思考停止して、自分の意志を失い、嫌な相手にも無条件で尽くす操り人形となるのが「滅私奉公」だと誤解されているようなのです。
マスターナンバー33を菩薩だと思い込み過ぎてしまう人は、この誤った「滅私奉公」をしてしまいがちではないでしょうか。

本当の「滅私」とは、私利私欲を捨てることです。「私」とは利己主義のことで、意志を失うことではありません。
心と頭を正しく持ち、主人のため他者のため何が最適かを考え、自己犠牲のもと尽くす。
場合によっては主人であっても諌めることをする。
これが本当の滅私奉公と考えられます。

少なくとも、私はそのように致します。

この記事は、2013年6月30日にブログ『K'sblog』にて執筆した記事です。多くの拍手をいただきました、ありがとうございました。
2018/10/19 リンク切れがあったため改稿、二つの記事を統合
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