又吉直樹は太宰治の生まれ変わり説

 失礼かなと思いつつ、「すたくろ」さんの記事をご紹介して雑談。
(私のような怪しい者がリンクして本当に申し訳ない。良質なサビアンサイトを知って個人的に嬉しい気持ちのため)

※本文常体。それと、すたくろさんが本気で言っているわけではないと分かりながら、真面目に考えて書いていますことご容赦ください。小説好きなもので

又吉は太宰の生まれ変わり?


この記事が面白かったので話題にしたくなった。
 ⇒太宰治と又吉直樹氏

ピースの又吉直樹さんが
芥川賞を受賞したわけでありますが
又吉さんは
太宰治を尊敬しているようで
そしてまた
嘘のような本当の話的な
不思議なご縁があったりして
(偶然にも太宰と同じ住所に住んでいた!みたいな)

まさかの
生まれ変わりなんじゃないのか
なんてことを
ふっと考えたりしてしまうわけですが

太宰治さんと又吉さん。

もしかしたら
本当に生まれ変わりということもありそうですよね。

(ごめんなさい)
まさか、それはない。
又吉に失礼と思う。笑

バッサリな言い方ですみません。

でも小説好きなら皆、口を揃えて同じことを言うだろう。
「まさか又吉が太宰治の生まれ変わりのわけがない。太宰にしては常識があり過ぎる!笑」
「たった一回の転生でどれだけ成長したんだよ。いくらなんでも、改心し過ぎだろ」
と。

太宰の熱狂的ファンである又吉にとっては、憧れの人の「生まれ変わり」と呼ばれたら卒倒しそうなほど嬉しいだろうけど、はたから見れば「生まれ変わり」呼ばわりは可哀想だと思う。
又吉のほうが人として遥かに上

真面目に考えると、太宰と又吉ではまず本質の性格タイプが違うね。
生きている時代による表面的な違いなどではなく、本質に流れる共通項があまりない。
太陽は同じ星座でも、おそらくアセンダントは異質なエレメントだろう。太宰は水、又吉は地、とか。
(いやその醸し出すエレメントの雰囲気は月のせいかもしれないが、アセンダントも真逆と推測する)

太宰が現代に生きていたら、間違いなく炎上キングとなるだろうな。
連日、百田尚樹あたりとツイッターで凄まじい悪口合戦を繰り広げてヤフーニュースのトップになりそう。ちょっとそのバトルは見てみたかったかもしれない。
いや個人的にはそれよりも三島由紀夫とのツイッターバトルが見たかったけどね。百田では相手として物足りないか。

それと太宰は炎上だけではなくスキャンダルキングともなるだろうな。
文春記者は太宰の後だけ追っていけば、彼が世を去るまで食べていける。

いっぽうの又吉直樹。
大人しく品行方正。真面目でありながら、さすが芸人。空気を読む術に長ける。
一作目で、日ごろ読書をしない方々から
「難解過ぎてよく意味が分からなかった」
という感想をもらったからといって
「二作目はもっと分かりやすく、ポピュラーな小説を書かなきゃ」
などと言う又吉。
そんな、コミュニケーション能力の高い文学家がいるか?笑

少なくとも太宰には無理な芸当だと思う。
太宰本人はサービス精神があるつもりで、相手におもねっているつもりなのだけど、根が独りよがりでピントはずれだから嫌われる。
だからこそ彼は芥川賞が取れなかった。
目的の文学賞を取るにはどのような雛形に沿った文章を書けばよいのか、その雛形がついに理解できなかったのだ。つまり彼は生まれつき不文律のルール、「空気」を読むことができない。
あまりにも、ありのまま生きている人間故に。ありのまま、裸のままの文章しか書けない。
でもそれが実は、「本物の作家」なのだよね。
日本ではこういう「本物」は賞が取れない

なんだか文学談義に逸れてしまったが、ともかくホロスコープ的にも二人は「生まれ変わり」とは言えない。
太陽星座が同じだけでは生まれ変わりとは言えないし(むしろ太陽星座は来世で変わるべき。来世で同じ太陽星座なのはイレギュラー)、ノードに表れるカルマも算数的には計算できない。

たぶん、物質に近い位置で起こる「生まれ変わり」とはこういうものではない。

見た目の相似よりも、本質タイプの共通項のほうが重要。
あとは生まれた時の環境や、家族関係、友人関係の共通項があるかどうか。

実は意外かもしれないが、同じ国や同じ地域に生まれていないことも「生まれ変わり」であることのポイントとなる。
魂は完全に同じテーマの人生を繰り返すことはないから、同じ国や地域に生まれることをなるべく避ける。
もちろん自殺した人の場合、同じテーマの人生を繰り返すということはあり得ると思う。
だけど全く同じ住所に住むことがあるかというと、難しい。
自殺したぶん、前よりもっと重い負債を背負うことになるので日本より過酷な場に飛ぶ可能性が高いのでは。
(私は自殺したことがないから分からないが、カルマの法則を考えれば)

それからもっと重要ポイント。
私の個人的な体験から述べると、自分の前世は決して「尊敬」できないし間違ってもファンにはなれない
(自分の前世であることを知らなくても反射的に嫌だと思うから誤ることはない)
だってあなたは本気で自分の「ファン」になれますか? 私は絶対に無理です!笑
家族に恋するよりもさらに無理。
たまにナルシストがいて「自分のファン」などと言っている人がいるが、私には信じられない。
どちらかと言えば生理的に最も嫌いな人。見ているだけでも気持ち悪いし恥ずかしく、いたたまれない。それなのに全ての行動について気持ちはよく分かる、という人だったら自分の前世の可能性がある。

生まれ変わりより可能性が高いこと


もちろん上のサイト主様は、あくまでも「たとえばこうだったら面白い」という話をされているだけで、本気で生まれ変わりだと主張されているわけではない。
だからこそ軽い乗りで、こうして楽しく談義できるわけだ。

皆さんもあまり本気にされないでね。

ただ上のサイト主様が仰る通り、太宰と又吉には不思議な縁があることは確かだと思う。

私が思うに、又吉は太宰の念に憑依されたのではないかなあ。
あまりにも好き過ぎて、その人の生前の想いにとり憑かれることはある。

又吉は幼い頃から読書が好きだったわけではなくて、あるとき太宰の小説を読んだことをきっかけに、突如として読書好きとなった。
そこから人格が変わったように本を貪り読んだ、らしい。
このように人生の途中で、病気などの理由もなく人格が変わる場合は「憑依状態」という。※

又吉の場合、太宰の霊そのものに憑依されたわけではなくて「想い=念」にとり憑かれたのだろうな。
もし本人の霊にとり憑かれたら少しまずいことになっていたかもしれない。

太宰を愛するがあまり彼の「想い」にとり憑かれ、太宰の無念をなんとかしたいと願い、受け継いで果たした。
又吉の優しい「想い」はたぶん、あの世にいる太宰の霊も慰撫したのではないか。
上のサイト主様が仰る、
今回の受賞で
太宰治が抱えた
魂の傷が癒えたとも
言えるのです。
これは全くその通りだと私も思う。

又吉は太宰の魂を慰めるために生まれてきたのかもしれない。
太宰の縁者であるか?
もしかしたら、前世で太宰を愛した女性の一人、だったりね。(あくまでも想像)

それだけに留まらず、又吉は我々読書好きの不遇も改善してくれた。
又吉のおかげで太宰ファンも救われたし、読書ファン全員を救ってくれた!
日本で少し本が読まれるようになったのは又吉のおかげ。
有難う、有難う。
深く感謝しているよ。

だから又吉には細かいことを気にせず、プレッシャーを無視して自由に小説を書いて欲しいな。
もう一度、読書そのものを愉しむことができるようになればいいね。


※憑依か、前世記憶かの見分け方


サイトにも書いたことだけど重要だから繰り返し書いておく。

よく、「前世の記憶を思い出した」と主張して急に人格が変わってしまう人がいるが、その場合はおそらく浮遊霊に憑依されている。
幼い頃から特別に恐れていた物や事柄もなかったのに、「前世記憶」と主張する映像を見たその時点から突如として何かを怖がるようになった場合も同様。
浮遊霊に見せられた他者の記憶を、自分のものと勘違いしてしまっただけ。

私などは幼い頃から一切、人格が変わっていない。
幼い頃から読書好きだったし、変人だった。笑
表面的には態度を変えることがあるが、根のところは変わっていないと思う。変わりたくても変われない。(成長が全くないとも言う)
もちろん「前世記憶が蘇った」という体験をした後も、性格は微塵も変わらなかった。
変わることを恐れた自分がバカだったと笑ってしまうくらい。
魂の性質は、生まれ変わっても簡単には変わらないものだ。

〔関連記事〕自分は自分にしかなれない、という話

この通り見せられたイメージが
「前世記憶」
なのか
「憑依した霊や念が見せた他人の記憶」
なのか見分けるポイントは、人格が変わるかどうかにある。

それと、幼い頃の自分を思い出してみることも役立つ。
自分の幼い頃とその「前世」の人生に何か共通項はあるか?
なければ憑依の可能性がとても高い。

又吉のように、おそらくその霊魂の縁者で、始めから霊魂を慰めるために生まれてきているなら念を受け継いでも構わない。
(「始めから計画していた」かどうかは、上の通り出生ホロスコープに計画の痕跡があるかどうかで分かる)

ただ縁者でもない、浮遊しているだけの霊にとり憑かれると死に誘導され危険な場合もあるから、なるべく早く忘れたほうがいい。
自分で対処できない場合は専門家に祓ってもらってください。

参考 ⇒他人の魂に憑依されたか否かの判別(チェックリスト)

――慣習に従い、この記事では作家について敬称略――

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