ギフテッドとアスペルガー等の違い、「個の力」について【返信】


いただいたメールの返信です。前記事で感想を書いた『gifted』の映画とも関連します。

 

S様へ、大変長らく返信お待たせして申し訳ありませんでした。このたびは貴重なご自身の体験をお話しいただき感謝致します。

 

返信が遅れてしまった件、お詫び

メールをいただいたのは去年の11月のことになりますね。遅過ぎる反応で大変失礼しました。

 

去年末は忙しかったせいもありますが、告白しますとあまり良い心理状態ではなかったのです。政治的な事件が続いているため警戒心が高まっており、初めての方のメールは保留してしまいました。

よそで危険な話を書いている私が悪いのです。完全にこちらの事情で保留してしまったことお詫び申し上げます。


二通のメールをしっかり読ませていただきました。

せっかくの温かいメッセージなので公開させていただきます。

初めまして。今日まで1年半ほどこっそり追っかけ?をしていた、Sと申します。
自分の人生の選択に少々悩んでいた時期に吉野さんの記事を見つけて、生きていく勇気が湧いたので、ぜひお礼を、と思いメールを差し上げました。

ここからは自分語り失礼します。(不快だったらすみません!)手相の記事からこちらのブログにたどり着いたのですが、初見した際、すごく深く考えておられる方だな、他の記事ではどんなことを書いておられるのだろう、と思って読みふけっていたら、3時間ぐらい経っていました笑笑。

私自身、もともとスピ系や占いが好きだったので、輪廻転生のお話は興味深く見させていただきました。特に西洋占星術はこのブログのおかげで知った占いだったので、(当時、東洋占星術・宿曜ぐらいしか知りませんでした)今まで知っていた占いとは違った見方で自己分析できるようになったのは吉野さんのおかげです。本当にありがとうございました!
ちなみにこの自己分析の甲斐あって、やってみたいことを無事見つけられました...!今はその道に進むために頑張っているところです。


別館の政治話も読んでいますよー!
このご時世、何が正しいのか(私が)全く分からなくなることが多いので、吉野さんの視点、とても勉強になります。
更新はとても大変なことと存じますが、私のような人もいるとお伝えできれば、幸いです。

長くなりましたが、これからも吉野さんのペースで更新してくだされば、嬉しいです!拙い文章ですみません!失礼しました。
 

うわあぁ……(今改めて読み直し感動が抑えられない)

 >生きていく勇気が湧いたので、ぜひお礼を

ほ、本当に恐縮です。

ここのところ検索からも排除され過疎化が激しく進んだ当ブログ。まだ読んでくださる方がいるのだなあと嬉しく、感動しております。

 

「自分語り」が不快だなどと私が思うことはありませんのでご心配なさらず。

私のブログもほとんどが自分語りですからね! しかも異次元の…。

不快を覚える方は多いに決まっていますが、気にしないようにしています。経験は誰かの役に立つはずと信じているからです。

 

>ちなみにこの自己分析の甲斐あって、やってみたいことを無事見つけられました...!

八分に遭ってもブログを続けてきた甲斐がありました。ありがとうございます。


>別館の政治話も読んでいますよー!

ありがたいです。読んでくださっている方がいること励みになります。

実際問題、政治話のために本体ブログまで言論統制され詰んでしまいました。損してばかりですね。

しかし今また誘導が激しくなり危険性が増している情勢です。

政治に関わりたくないと思っている方も巻き込まれてしまいますから、せめて出口の方向性だけでも示しておきたいです。


ギフテッドとアスペルガー等の違いと共通項

次のメールは個人的なお話で公開するか迷いましたが、貴重な当事者の方のご意見なので公開させていただきます。

"他人の教義に従えない私は障碍者?「個」での判断しかできないこと"
の記事についてです。
記事の中で触れておられるアスペルガーや自閉症について、唐突ではありますが、ギフテッドとの違いに興味を持ちました。

というのも私自身、自閉傾向があるという診断を過去に受けたことがあり、今はグレーゾーンといったところです。
なので、ギフテッドの方と自閉症の方はどう違うのだろうと考えることがあります。

はい、私もギフテッドとアスペルガー、自閉症等の違いについては気になっていました。

該当の記事にも書きましたが私自身も「アスペでしょ?」と言われたことがあります。

たとえば自分なりに考える、あえて集団とは違う発言をするところなど共通項は多いと感じます。

だから私も以前は「自閉症の一部がギフテッドに分けられるのだろう」と思っていたのですが、専門的な定義はどうも違うらしいです。

ここからは推測の域ですが、
ギフテッドも自閉症(少なくとも軽度ならば)も自分が納得できない、よく分からない教義や群れに従えないというところは共通かなと思います。
違いは、知能と、肉体的に「個」でいることを強制されるかどうかかもしれません。

忖度なしに申し上げますと、

知能につきましては、ギフテッドの方が全体的に高い一方、自閉症の方は知的障害を併せ持っておられたり、分野によって出来が著しく変わったりと人によって様々です。

 ↓
この点に突っかかってくる方がおられるかもしれませんが、差別的な意味合いはありません!というか、私自身も自閉症当事者なので、同じ当事者の方はどうか怒らないでくださいませ 

続き↓
次に挙げた肉体的に「個」でいることを強制されているかどうかですが、 ギフテッドの方は肉体的に「個」でいることを強制されているわけではないように思います。なので、(群れに)従おうと思えば、従うこともできるけれど、吉野さん含めたギフテッドの方々はそれでは納得がいかないとおっしゃっているのかなと。

 (引用前後します)

 自閉症の方の場合は、群れに従いたくても従えないというのがしっくりきます。 私も子供の頃、大事なおもちゃを無くしたとて動揺して泣き叫ぶ必要はないと分かっていながらしてしまい、親には迷惑かけたものです。(いや、「今も」迷惑はかけているかもしれません) 

つまり、群れにどう影響するかで(自己の意思を使い)表情や行動を決めることができない=肉体的に「個」として振るまうことを強制されている?だから障碍? かなと。

自閉症の方は「個」でいることを強制されている……。

なるほど…、そう考えると違いが理解できる気がします。

 

ギフテッドも知能が高いとは限らず、様々な定義があるそうです。音楽や運動の突出した才能を持つ人もギフテッドと呼ばれます。

そのなかで「知的ギフテッド」がよく話題となるタイプなのですが、それもIQ幾つ以上といった知能定義は無いようです。ただ学習のしかたが独特で習得スピードが速く、先生の言うことをそのまま覚えないタイプであるらしい。

 

彼らは(私も)確かに集団の教義に従おうと思えば可能だと思います。

だから私はその年齢に合わせた成績調整も可能だったし、カルト集団の中にいれば従っているように演技できます。ただ本気で教義を鵜呑みにすることはありません。納得できないことは時期が来れば「あえて」反論を始めるといった感じでしょうか。その結果も考えつつ。

追記:たとえば前記事で感想を書いた映画『gifted』では、数学の天才少女が小学校一年生の算数に耐えられず騒ぎを起こすシーンがあります。あのシーンだけは現実と違うと感じました。ギフテッドの子であれば周囲のレベルを理解し、小学校一年生らしい回答ができるはずです。

感情表現は抑制傾向にあり、欲求を主張するのは難しい。大事なオモチャをなくしたからと泣き叫ぶことはありませんでした。むしろ抑制が利き過ぎていたというか、素直な反応はできなくて自分でも困りましたね。子供の頃は感情表現も演技することがありました。今はむしろ素直なほうと言われますが、家族には。

 

 とはいうものの、「教義」に従い、自分で正しいかを考えないのが当たり前なのは私もどうかと思います。
「個」であること、いつ・誰にとっても正しいことを追求されている吉野さんや過去の思想家達(古代ギリシャならソクラテスでしょうか。勉強したてで間違っていたらすみません)はその点素晴らしいと思います...!私もいつかは!とかいう前に勉強しろやい!って感じですね。

 

> 自分で正しいかを考えないのが当たり前なのは私もどうかと思います

ですよねえ。

自分が属する集団の教義に従うのはおそらく健康な人間の脳が持つ特性です。無意識的に年上・長老に従う本能を持たなければ、人類という種は繁栄してこられなかったのでしょう。

しかしカルト的な宗教や主義はそんな本能を悪用します。

悪用するためのプログラム=全体主義は、今や癌と化して人類自身を攻撃していますね。

このままだと人類は自らの本能によって滅んでしまうでしょう。

 

>古代ギリシャならソクラテス

間違っていないですよ。

ソクラテスはまさに群れに従えない典型の人。詭弁家たちの主張に疑問を持ち、矛盾を突いて論破していました。そのために同時代の人たちから嫌われ死刑になってしまいましたが、矛盾を指摘し嘘を暴く姿勢がなければ真理の探究は不可能です。


それにしても、群れに従わない=もれなく全員障碍者とは横暴な考え方だろうと思います。その定義は、群れに従うのが多数という前提でできているものにすぎないはずですが... 

 

そう、横暴な定義ですね。

なかには主義主張で群れに従わないと決めている人、教育や訓練でそうなっている人もいます。たとえば近代では“不良”、アウトローと呼ばれる人々とか。ただそれも時代の流行ファッションとして身に着けたスタイル、集団に従っているだけと言えるかもしれません。

上にも書いた通り人類は種の繁栄のため、生来この「群れに従う」本能を持つはずです。故におそらくそちらが多数派であろうと推測できます。

それに私はそう考えたほうが諦めがつき、ラクになるのです。

人々に期待せずに済む。 

何故カルトに騙されるのだ! 何故こうも軽々と誘導されるのだ! などと憤りを感じて地団駄を踏まずに済みます。

(それでも苛々はしてしまいますが)


集団に従えないことを障碍だのエラーだのと言ってしまうと傷付く人もいるでしょう。もしかしたら差別にも繋がってしまうのかもしれません。

それでも私は自分のことをエラーと呼び、密かに誇りを持ちたいと思います。

おそらく暴走する集団を止めるのは我々のような集団に従う本能が欠如した者しかいないと思うのですよ。全体が誤ったプログラムで狂った時には違う動きをするコードがなければ救いがないでしょう。

少数で全体の暴走を食い止められるのか分かりません。でも、全体に従わない人がゼロより希望があります。

 

占星術の話で、水瓶座の時代は「個の力」が鍵となると言われています。

それは個が暴走プログラムを解くということだったのかもしれません。

個を強制された人々、個を選ぶ人々はこれからお役目があるかもしれませんね。

 

それでは、この辺で失礼します。拙い文章&長文で、ツッコミどころ満載だと思いますので、返信の際、存分に突っ込んでもらって構いませんし、長いので時間のある時に読んでください...。 

とにかく吉野さんの記事で思考停止にならずに済んだと伝われば幸いです。 また記事があがるのを、楽しみにしております。

 

思うまま返信を書いてしまいました。こんな感じで答えになっているかどうか。もしご不快な点があったらすみません。

 

> とにかく吉野さんの記事で思考停止にならずに済んだ

何より嬉しいお言葉でした。

相変わらず私は自己評価が低いために落ち込みがちで筆が進みませんが、今後も当ブログをよろしくお願い致します。

仮に休みが長くなったとしても文章を残していけるよう努めます。


このたびはメッセージありがとうございました。いつもギリギリのところで読者様に救われています。


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